otomeguの定点観測所(再開)

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2016SFセミナーレポートその2 本会「『三体』以後の中国SF」 合宿「ヒューゴーショックとはなにか?」

 今回はレポート第2弾で、本会企画と合宿企画を併せて紹介します。この2つの企画は中国SFというキーワードで密接にかかわっているうえ、パネラーも共通しているので、まとめた次第です。

 

 

【『三体』以後の中国SF】

 まずは、昼の本会企画から参ります。司会は作家・中国文学研究者の立原透耶さんで、中国からお越しになっていたゲストが中国のウィリアム・ギブスンと呼ばれる作家のスタンリー・チェンさんでした。

twitter.com

立原透耶 - Wikipedia

鼠年 - 慶應義塾大学SF研究会

 

 恥ずかしながら私は中国SFのことを全く知らないので、初めて聞く事柄ばかりで興味深かったですし、話が明快に整理されていたので非常に分かりやすかったです。ただ、作家などの情報がどんどん流されるうえに、中国語のパワーポイントが読めなかったので、全体をきちんと把握できませんでした。日本語か英語のレジュメを用意していただけるとありがたかったです。私がちゃんとメモを取れっていう話なんですけどね。

 

 記憶の中から取り出した、印象に残った点をざっと並べてみます。

〇中国では作家を年代別に古生代中生代新生代など、地質の年代のように呼称して年代別分類を行っているそうです。当然ですが、初めて聞く作家さんがほとんどでした。ハードSFから幻想文学からライトノベルから、様々な作家さんがいらっしゃって、中国SFの深い襞を感じることができました。若い作家さんには日本のライトノベルやSFに影響を受けた方も多そうでした。日本のSFも中国では人気があるそうで、積極的に訳されているそうです。

王晋康 - Wikipedia

韓松 - Wikipedia

江波 (小説家) - Wikipedia

劉慈欣 - Wikipedia

 

〇中国のSF専門誌は『科幻世界』1誌のみだそうです。公称10万部。日本の出版状況から見ると羨ましい発行部数ですが、中国の人口を考えるとまだまだ部数を増やしていけるようです。かつてはいくつかSFの専門誌があったそうですが、現在は1誌しかないため、SF作品の発表の場は他ジャンルの小説誌やWEBにも広がっているそうです。

www.frelax.com

幻想在线

 

〇中国のSF賞には、銀河賞と華人星雲賞の2つがあるそうです。銀河賞が中国版ネビュラ賞で、華人星雲賞が中国版ヒューゴー賞ということのようです。華人星雲賞は中国国内で出版された作品だけでなく、台湾、華僑など中国語で書かれたSF小説を全世界的に対象にした賞なので、日本人でも中国語でSFを書けば受賞の資格を得るそうです。

 

togetter.com

 

d.hatena.ne.jp

d.hatena.ne.jp

http://www.ne.jp/asahi/sinology/lib/private/sf/97ginga.html

 

 〇かつて中国のSF映画は、大陸で作られたものと香港で作られたものでかなり作風に差があったそうです。ポスターを見た印象だと、やはり香港のほうがハリウッド的な感じでした。ただし、20世紀の中国のSF映画にはろくなものがないとのことです。最近はクオリティが上がっているそうなので、中国のSF映画はこれから発展していくのでしょう。

 

〇昨年、『三体』がヒューゴー賞を受賞しました。中国の小説が権威ある外国の文学賞を取ったため、中国政府がSFに強く注目するようになっているそうです。政府が絡んでくるというのがいかにも中国らしいですね。しかし、スタンリー・チェンさんは『三体』についてはパピーズゲート事件の関係があるから、と含みを残したコメントでした。『三体』はヒューゴー賞受賞にふさわしいレベルの作品だと思いますけどね。ヒューゴー賞については次の合宿企画で詳しく取り上げられていますので、このまま次のテキストに移りましょう。

 

The Three-Body Problem

The Three-Body Problem

 

 三体 - Wikipedia

The Three-Body Problem - Wikipedia, the free encyclopedia

 

ヒューゴーショックとはなにか?】

  続いて、合宿のヒューゴー賞の企画に参ります。パネラーには昼企画のスタンリー・チェンさん、立原さんに続いて、巽孝之さんと小谷真理さんが加わりました。

 

 まず、昨年のヒューゴー賞で起こった「パピーズゲート事件」についてですが、こちらのリンク先をご参照ください。

youshofanclub.com

 Sad puppiesとRabid puppiesという差別的な思想を持った輩が合法的にヒューゴー賞をハイジャックし、普段の年ならノミネートされないような差別的な思想の作家やサイエントロジーの作家を賞にエントリーさせて、ヒューゴー賞の屋台骨を揺るがす行為に及びました。SF作家の中にはノミネートをボイコットする作家さんもいました。また、ワールドコン参加者に対して、「no award」つまり「該当作なし」に投票するよう呼びかける動きもありました。その結果、ヒューゴー賞部門のうち5部門が「no award」となる異常事態になりました。ヒューゴー賞の投票欄には「no award」という項目があり、棄権ではなくきちんと票数が数えられます。そのため、いつも「no award」に何票か入ります。授賞式ですべての作品の投票数が発表されるため、毎年の「no award」の状況は確認できるそうです。しかし、過去、受賞作が「該当作なし」となったのは、長いヒューゴー賞の歴史でも5回しか起こっていない珍事だそうです。だから、2015年のヒューゴー賞がいかに異常な状況だったかがお分かりいただけるでしょう。

 

 結局、小説で受賞作となったのは、上記の長編部門『三体』と、ノベレット部門のThomas Olde Heuvelt "The Day The World Turned Upside Down"のみでした。奇しくも、pupiesが攻撃対象としている非白人の中国SF、および白人ですが保守主義ではなくかつマイノリティであるオランダSFが受賞するという、極めて皮肉な結果になりました。SFファンの健全な政治性が示され、ヒューゴー賞の権威がどうにか保たれたといえるでしょう。今回の騒動に対する、私の前「定点観測所」でのコメントはこちらです。キャッシュから拾ってきました。

 日本の星雲賞と同じく、ヒューゴー賞もあくまでSF大会というお祭りにおけるSFファンダム内の賞に過ぎません。ですから、組織票も投票を誘導する行為も、大会ひいてはSF界を盛り上げる意図があるなら歓迎されるべきです。しかし、そこに醜悪な政治的意図やレイシズムがあれば話は別です。醜悪な思想がSF界に侵入することを許してはなりません。SFで最も伝統と権威のある文学賞の歴史がこんな形で汚されたことには激しい怒りを覚えます。puppiesどもはこんなくだらない運動を起こす前に、作品のクオリティで勝負すればよかったというだけのことです。2015年のヒューゴー賞は多くの部門で受賞作なしという結果でしたが、SFファンの健全な政治性が示されたことに、多くのSF関係者が安堵したのではないでしょうか。二度とこんな低レベルの騒動が起こらず、ヒューゴー賞が滞りなく運営されることを願います。

 日本のSFファンダムおよびSF文壇は、「日本人」という比較的同質の集団です(欺瞞に満ちた表現なのは分かっています)。小競り合いが起こるというニュースは時々流れていますが、

anond.hatelabo.jp

matome.naver.jp

 こうした内ゲバがSFのコミュニティを揺るがすような深刻な事態になることはまずありません。

 しかし、アメリカのSFファンダムおよびSF文壇には、日本のそれよりも高い政治性があるようです。また、コミュニティ内部において人種や性差などの差別的な要因が複雑に絡んでいるので、昔から女性や非白人が差別されることはあったそうです。小谷真理さんも性差別を経験されているそうです。フェミニズムSFのイベントであるWisConでも人種間の対立が起こっていて、ワールドコンがpuppiesでもめているときにすったもんだやっていたそうです。もう少し穏当にやればいいのにと思うのは、日本人の曖昧で弱い考え方ですかね。

WisCon

 乱暴なまとめ方ですが、アメリカの政治や国民性がモンロー主義的な昔のそれに戻るりつつあって、例えばトランプの躍進が歪んだナショナリズムポピュリズムの反映だとするなら、

jp.wsj.com

 puppiesの動きはアメリカの歪んだ政治性がSFファンダムにも照射されたものだといえるでしょう。卑近な言い方をするなら、puppiesはあくまで合法的な手段を使い、ワールドコンの登録料を支払って投票行動を行っているだけです。ルール上は何も悪いことをしていません。ワールドコンに参加しているのにヒューゴー賞に投票しない参加者はたくさんいるそうです。賞に投票しない人間、またはこれまで投票してこなかった人間が、律儀に投票した人間に対して文句を言うのはおかしなことです(日本の星雲賞もあまり投票率は高くないので、頑張って投票してほしいとのことです)。選挙において投票所に行かなかった無責任なやつは政治に対して文句を言うな、というのと同じ論理です。puppiesはあくまで自分たちの主張を通すためにロビー活動を行っているだけです。だから、puppiesを攻撃したいのなら、同様にロビー活動を行えばいいだけの話です。

 puppiesについては、その行動以前に、差別的な思想そのものが問題です。SFやファンタジーは様々な差異や多様性を包含する文学ジャンルであるべきです。puppiesの思想はジャンルの根本原理と乖離しており、認めるわけにはいきません。

 

 2016年もpuppiesの動きは活発で、ヒューゴー賞のノミネートリストの中にpuppiesの推薦作がたくさん入っているそうです。また、puppiesのやり方が狡猾になっていて、本来は彼らの信条からは外れる女性作家や非白人の作家の作品をあえてリストに入れて、ノミネートを攪乱し、ヒューゴー賞の権威を貶めようとしているそうです。2017年からは賞の選考方式が変わるそうですが、今年はまだヒューゴー賞の混乱は続くようです。

 

The Three-Body Problem

The Three-Body Problem

 

 

 さて、『三体』の話です。この作品のヒューゴー賞受賞が中国国内で大きく取り上げられ、政府からも評価されているということに、先ほど触れました。しかし、スタンリー・チェンさんはこの受賞に対して「puppiesの影響によるものだから」と留保するようなコメントをしていたことにも触れました。

当初、最終候補作5作の中に『三体』は入っていませんでした。しかし、最終候補作の中からボイコットが出たために『三体』が繰り上がって最終候補になったそうです。そしてヒューゴー賞受賞に至りました。非常にドラマチックなですねえ。puppiesを擁護するつもりはさらさらありませんが、結果として彼らは味な演出をしてくれたわけですね。

 

 SFファンの一人として、不毛な争いが早く収束することを願ってやみません。

【関連リンク】

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Sad Puppies 4 – The Bitches are Back

Vox Popoli: Rabid Puppies 2015