otomeguの定点観測所(再開)

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パナマ運河と青山士

 パナマ運河は、1914年にパナマ地峡を貫いて太平洋と大西洋を結ぶルートで建設された運河です。総延長約80キロ、幅200~300mの大運河です。巨額の費用をかけ、そして多くの犠牲を払って敢行されたこの運河の建設に、主要メンバーとして参加した日本人技師がいました。

 パナマ運河建設の意味】

パナマ運河 - Wikipedia

パナマ運河 - パナマ運河の歴史や見所、拡張工事について

パナマ運河の歴史と仕組み!これさえ読めばパナマ運河が分かる! | On The Road

パナマ運河

 はじめ、パナマ運河建設を行ったのはフランスでしたが、あえなく失敗に終わりました。そして、アメリカがその建設を引き継ぎました。19世紀末、太平洋・アジア戦略を強化していたアメリカにとって、アメリカ艦隊を大西洋から太平洋へとスムーズに移動させるための運河は必須のものでした。

 アメリカはパナマ政府に1000万ドルの一時金と、年間25万ドルの支払いを行って、パナマ運河地帯を租借する権利を得ました。1904年に工事は再開されましたが、工事の遂行は困難を極め、約56000人の人々が建設に携わりましたが、そのうち約5600人が黄熱病で亡くなりました。犠牲者の多くは南米や中国など名からの出稼ぎ労働者だったといわれています。黄熱病の対策のため、野口英世エクアドルに派遣されたことがあります。

No.806 野口英世、黄熱病との戦い 国際派日本人養成講座/ウェブリブログ

野口英世 - Wikipedia

 大工事の末、遂に1914年、パナマ運河は開通しました。この開通によって、ロサンゼルス・ニューヨーク間の航路が約20000キロ短縮されるなどして、アメリカは軍事上・通商上の大きな利益を獲得しました。

 

【青山士inパナマ

青山士 - Wikipedia

社団法人 土木学会

荒川放水路を作った青山士が作ったパナマ運河を徳島丸が最初に通過(饒村曜) - 個人 - Yahoo!ニュース

Embajada del Japón en Panamá

「治水の父」青山士とパナマ運河|熟年社労士の徒然雑記帳

 青山士は明治から昭和にかけて活躍した土木技術者です。東京帝国大学を卒業後、か以外で経験を積むためにアメリカに渡りました。日本政府からの援助はありませんでしたが、自費でパナマ運河建設に唯一の日本人として参加しました。

 最初、青山は英語でのコミュニケーションに苦労していましたが、働きながら現地の英語学校に通って、パナマ運河建設が始まるまでに仕事上は苦労しないレベルの英語を身に着けました。そして、大学時代の恩師の紹介もあって、末端ながらパナマ運河建設の測量員として採用されました。

 パナマ運河の建設工事は予想以上に困難を極めるものでした。パナマは熱帯のジャングルで厳しい気候のうえ、猛獣などの危険と常に隣り合わせでした。また、黄熱病やマラリアなどの伝染病が常に流行していて、命を落とす者や、働くことを断念して帰国する者も数多くいました。

 そのような過酷な状況の中でも青山は勤勉に働き、1910年には設計技師にまで昇格しました。彼の仕事の評価は常に最優秀(excellent)で、真面目さだけでなく技術の高さもきちんと評価されていました。

 しかし、青山は1911年に急遽の帰国を余儀なくされました。当時、日米関係の悪化に伴い、アメリカでは対日感情が急速に悪化していて、日本人や日系移民に対する差別や暴力などの圧力が日々高まっていました。青山自身も日本政府のスパイだと疑われれたこともあり、仕事仲間との関係もどんどん悪化していきました。アメリカ国籍を所持していないと働きにくい状況になっていたため、青山にとっては苦渋の決断でした。彼の帰国から3年後、遂にパナマ運河は完成しました。

 帰国後、青山は内務省に入省し、パナマ運河家拙で学んだ技術・経験をもとに、技術官僚として活躍しました。1924年に完成した荒川放水路、1931年に完成した信濃川大河津分水路の工事などが、青山が携わった代表的な仕事です。彼は日本でも高い知識・技術と勤勉さを評価され、技術官僚のトップである内務技監にまで昇りつめました。

荒川放水路と青山士』http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000097662.pdf

文献にみる補償の精神【9】「役人と農民は交渉の場では対等である」(青山 士) - ダム便覧

東京インフラ013 荒川放水路 | ドボ博

世はこともなし? 第80回 放水路と青山士 | Web「正論」|Seiron

「大河津分水と青山士・宮本武之輔」http://committees.jsce.or.jp/kikaku/system/files/talk9_all.pdf

大河津分水-Ⅱ|時は流れ水はめぐる

大河津資料館へようこそ

広井勇と青山士 | GAIA - 楽天ブログ

 戦時中、軍部からパナマ運河爆破計画について相談されましたが、協力を断ったそうです。自分が携わった仕事への誇りと、爆破がもたらす経済的損失を晩年もしっかり考えていたようですね。

大戦末期、知られざるパナマ運河爆破作戦―――近代日本とパナマ運河 ( ラテンアメリカ ) - 「 教 養 史 書 」 の ス ス メ - Yahoo!ブログ

戦後70年

史上最大の航空作戦 パナマ運河爆撃|最強御姫様伝説 皇国戦姫

 

【青山士の仕事観】

 青山士の仕事観は、幼少から母に繰り返し伝えられた、地位や金銭や名誉欲などに左右されずに自分の信念を貫け、という教えによって培われたものでした。内村鑑三は青山について、青山のような技師が増えれば工事は安全なものとなり、わいろなどの不正行為がなくなり、技術が単にものを作るためのものだけではなく人類のためになるものになるだろう、と述べたそうです。

 青山が作成した土木技術者の信条というものがあります。技術者だけでなく全ての仕事に通じる、21世紀の現在だからこそ大切にしなければいけない仕事上の価値観として読まれるべきものでしょう。即物的で欲望まみれの私にはとても実践できないものですが・・・。

①土木技術者は国の発展や人類の福祉向上に力を尽くさなければならない。

②土木技術者は技術の進歩向上に努め、その真の能力を発揮しなければならない。

③土木技術者は常に真面目であり誠実さと名誉を重んじなければならない。

 

【参考文献】 

評伝 技師・青山士の生涯―われ川と共に生き、川と共に死す

評伝 技師・青山士の生涯―われ川と共に生き、川と共に死す

 

  

  

パナマ運河―その水に影を映した人びと (中公新書 564)

パナマ運河―その水に影を映した人びと (中公新書 564)