otomeguの定点観測所(再開)

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『宝石の国』:「初期サイバネティクスとライプニッツから「宝石」たちの生命論を酩酊気味に読み解いてみた」

 今期のアニメから『宝石の国』に関するテキストを起こしてみました。ウィナーとライプニッツドゥルーズから間借りというか拝借しつつ、構成してみました。いつもの酔っぱらいの繰り言ですが。

 ジェンダーレス/セックスレスで美しい無機質=鉱石生命の世界】

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 フォスフォフィライトをはじめ「宝石」たちの生命は、流動性・可塑性・メカニズムとしての弾性という、根本的な原理に従って機能しています。彼らはある能動的な力によって圧縮されており、たとえその身体が無限に分割されても、圧縮という力が彼らのあらゆる断片を周囲の環境を含む諸々の部分に関係させ、彼らの身体・精神・存在そのものに波及しつつ浸透し、その存在を規定します。

 「宝石」たちのもろもろの部分は微小生物(インクルージョン)によって絶えず構成されつつ分解され、結晶の中に小さな結晶を、その中にさらに小さな結晶を作り、互いに干渉しあう鉱石の窪んだ空隙にさらに結晶と渦を形作ります。それゆえに「宝石」たちは完全である限りにおいて空虚を持たず、しかし無限に穴だらけでもある多孔質の結晶です。結晶の中に多方向に分岐する通路が穿たれ、精妙なインクルージョンの流体に取り巻かれ、浸透し結節されている限りにおいて、「宝石」たちの身体も精神も存在自体もどんなに小さくてもサイバネティクス的に構成された1つのネットワークであり世界です。彼らの総体は様々な波動に満ちた物質の依り代のようなものです。「宝石」たちの生命としての流体を定義するのは凝集性や凝集力の発露、すなわち部分に分割されえない集合の可能性ですが、それは彼らが抽象的な物質であるがゆえに当てはまることです。彼らの精神と魂と身体は分割不可能であって、彼らの能力を決定する生命的な資質だけでなく、物体の靭性と硬度、あるいは彼らの分割の可能性と不可能性を規定する(恐らくは月人からの)圧力が、彼らに繰り返し示唆を与えています(過剰反応を起こすと月に連れ去られてしまいますが)。だから、「宝石」たちは硬さとともに生命としての弾性を備えているというべきでしょう。

 彼らの弾性は彼らに能動的に作用する圧縮力の表現であり、不死とはいえ有限の物体という形態であったり、様々な形状へと変異して融解したり無限になったりするにしても、モナド的な硬度を外挿する原子論的なライプニッツの言説も、有機的な流動性を欲するデカルト的仮説も、分割不可能な生命としての「宝石」たちの結晶が器として既定されているのですから、結局はインクルージョンの結節の中、インクルージョンのネットワーク内にすべて収斂します。弾性としての「宝石」たちは諸々の部分を形成しつつ凝集し、これらの凝集が襞を形成し、彼ら一人一人は明確な個でありながら、個として認識されるのではなくむしろ無限の襞や曲線的な運動として分割され、堅牢な周囲の環境によって規定され・限定されます。

 彼らは実存の襞として分割されています。すなわち、無限の襞が存在し、襞の中に襞があります。「宝石」たちを構成するインクルージョンの最小要素は襞に置き換えられるものであり、抹消線としての末端なのです。インクルージョンと微小生物がなすネットワークは弾性的・圧縮的な力の集積であり、微細で相対的な生命活動によって拡げられた襞は、ただひたすらに他の襞に至るまで襞を追います。互いに引きつけあい・反発しあうモナドが、対立しあう力によってインクルージョン自体を変化させては、また変化させます。その変成の果てに「宝石」たちの生成変化があるのでしょう。生成変化の行きついた極端な例が、複数の部分要素を接続されてサイボーグ/ハイブリッド/モザイク化したフォスフォフィライトでしょう。

 「宝石」すなわち鉱石と生命、鉱石と有機体には類縁性があります。有機的な襞は固有の特性を有していますが、そもそも無機物における部分の分割は生命における形態発生に等しいものです。そこには折り畳まれた中間状態が無限にあり、無限である点において無機物も生命も有機物もすべて可能であり自然なのです。また、世界が無限の多孔性であるとするなら、物体中に複数の世界を存する「宝石」(すなわちフォスフォフィライト)もまた弾性の働く世界であり、彼は「宝石」=鉱石という無機物が無限に分割される可能性を示しています。「宝石」における襞ー生命は襞ー物質であり、ここにもまた物質=無機物と生命=有機物との類縁性が認められます。それは物質の筋肉的な可塑でもあって、あらゆるところに弾性が導き入れられるということでもあります。有機体が有する内因的な襞と無機体が有する外因的な襞、「宝石」たちはこれら二重の襞を内外に有することで、あたかも有機体の発展のように変容します。無機的であれ有機的であれ物質は同じであり、それに働く能動的な力もまた同じなのです。それゆえ、「宝石」は有機体と等置され、有機的な襞は潜行する無機的な諸力とは弁別されて「宝石」たちの内で物質的な諸力となり、鉱石から不死の生命を創出します。

 あらゆる「宝石」は前成的に存在する鉱石から生まれます。彼らはメカニズムを逸脱した生物ではなく、あまりにも人工的であまりにも機械化された生物のあり方なのでしょう。鉱石の内にインクルージョンの無限機械を構成する内的限定、極化された塊=魂へと向かう内的な個体化。内的到達の果てに「宝石」たちの魂の凝集がある限り、彼らの有機的内部性は派生的なものにとどまらず、高次の概念的なものになります。すなわちライプニッツアルルカン。内的世界を滲みだして外世界をも浸蝕する過剰なまでの普遍性と遍在性があるからこそ、「宝石」たちはみな美しいのでしょう。

 

【参考文献/元ネタ】 

襞:ライプニッツとバロック
 

  

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)

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エティカ (中公クラシックス)

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ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

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人間機械論 ――人間の人間的な利用 第2版 【新装版】

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