otomeguの定点観測所(再開)

文芸評論・表象文化論・現代思想・クィア文化・社会科・国語表現・科学コミュニケーション・初等数理・スポーツ観戦・お酒・料理【性的に過激な記事あり】

2017年極私的回顧その14 アニメ

 極私的回顧第14弾はアニメにいきます。例年通り、商業アニメとアートアニメをまとめてコメントしております。また、いつものお断りですが、amazonなど関連サイトのレビューをテキスト作成の参考にしております。

 

otomegu06.hateblo.jp

 

【マイベスト5】

1、リトルウィッチアカデミア

www.youtube.com

www.youtube.com 

TVアニメ『リトルウィッチアカデミア』公式サイト

リトルウィッチアカデミア (@LWA_jp) | Twitter

リトルウィッチアカデミア - Wikipedia

リトルウィッチアカデミアのシュールストレミングパイ - otomeguの定点観測所(再開)

『リトルウィッチアカデミア』22話感想 - otomeguの定点観測所(再開)

リトアカ・ID-0感想⇒ワイドスクリーンバロックとはならず・・・ - otomeguの定点観測所(再開)

 2017年の極私的ベストアニメはこの作品でした。当ブログでは「ワイド・スクリーン・バロック・ファンタジー」なるわけの分からない表現も使いましたが、奇想SFの系譜の上に乗ったTRIGGERお家芸の、アイデアやらガジェットやら設定やら悪ふざけやらを過剰にぶち込んでおもちゃ箱をひっくり返したような作品です。アッコやダイアナなど登場人物の成長を正面から描き切り、極めて骨太かつ重厚なファンタジーアニメになりました。グラントリスケルの設定が世界や魔術の根本とつながり、最後にもっと稀有壮大な仕掛けができていればオールタイムベスト級のアニメになったと思うので、やや残念なところもありましたが、それでも十分な傑作だといえるでしょう。

 

2、プリパラ3rdシーズン

www.youtube.com

www.youtube.com 

ゲーム | プリパラ | スペシャルサイト | タカラトミーアーツ

テレビ東京・あにてれ プリパラ

TVアニメ「アイドルタイムプリパラ」DVD・CD公式ホームページ

アニメ「プリパラ」公式アカウント (@pripara_PR) | Twitter

プリパラ (アニメ) - Wikipedia

今さらですがプリパラ103話のあじみ先生の採点間違いについて - otomeguの定点観測所(再開)

プリパラ102話 史上最強のカオス回・・・ - otomeguの定点観測所(再開)

黄木あじみと『プリパラ』の狂気 - otomeguの定点観測所(再開)

レオナ・ウェストとジェンダー・アイデンティティ - otomeguの定点観測所(再開)

祝『プリパラ』100回! - otomeguの定点観測所(再開)

 既に『アイドルタイム』もクライマックスが見えているので今さら感がありますが、2017年の回顧なので『プリパラ』第3シーズンのランクインになります。パラ宿プリパラの集大成として楽曲の完成度もギャグのキレも狂気の度合いも最も高かったシーズンであり、特に終盤のグランプリ本選(ファイナル)のテンションはすさまじいものがありました。『アイドルタイム』も序盤はぎこちないところがありましたが、マイドリが何とか形になりそうで、これで『プリパラ』はめでたく一区切りとなるのでしょう。新プロジェクトについては情報が出次第、コメントしたいと思います。

www.youtube.com

アイドルタイムプリパラ テレビ東京アニメ公式

アイドルタイムプリパラ - Wikipedia

natalie.mu

cho-animedia.jp

 

3、メイドインアビス

www.youtube.com 

TVアニメ「メイドインアビス」公式サイト

TVアニメ「メイドインアビス」公式 (@miabyss_anime) | Twitter

メイドインアビス - Wikipedia

2017年極私的回顧その12 コミック(一般) - otomeguの定点観測所(再開)

 既にコミック(一般)で取り上げた作品ですが、原作世界を良質な映像世界に仕立て上げたアニメもランクインさせてみました。コミックと同じコメントで恐縮ですが、緻密で骨太な設定と物語そして重厚なテーマ性に支えられた、高い求心力を有するダークファンタジーの傑作です。曲者のキャラクターが揃った残酷な物語の中にも確かな救いがあり、物語のテクスチャーは温かいものです。しかし、尺が足りなかったためナナチの描き方が中途半端だったので、2期決定は嬉しい限りです。2期についても大いに期待しながら待ちたいと思います。

 

4、宝石の国

www.youtube.com

www.youtube.com 

TVアニメ『宝石の国』公式サイト

TVアニメ『宝石の国』 (@houseki_anime) | Twitter

宝石の国 - Wikipedia

 比類なきオリジナリティで大いに話題になった作品です。極めて独特で骨太な世界設定、美しい演出と映像表現、有機的にして無機的で優美な楽曲、ジェンダーレス/セックスレスで美形揃いのキャラクター、細やかで迫力ある戦闘描写など、様々な美点のあった作品でした。極私的にはフォスの成長を追うビルドゥングスロマン(??)であると読み解きたいところですね。もちろん2期はあるんですよね?

 以前、このブログで酔っ払いの繰り言を挙げているので、恐縮ながら再掲します。

otomegu06.hateblo.jp

 フォスフォフィライトをはじめ「宝石」たちの生命は、流動性・可塑性・メカニズムとしての弾性という、根本的な原理に従って機能しています。彼らはある能動的な力によって圧縮されており、たとえその身体が無限に分割されても、圧縮という力が彼らのあらゆる断片を周囲の環境を含む諸々の部分に関係させ、彼らの身体・精神・存在そのものに波及しつつ浸透し、その存在を規定します。
 「宝石」たちのもろもろの部分は微小生物(インクルージョン)によって絶えず構成されつつ分解され、結晶の中に小さな結晶を、その中にさらに小さな結晶を作り、互いに干渉しあう鉱石の窪んだ空隙にさらに結晶と渦を形作ります。それゆえに「宝石」たちは完全である限りにおいて空虚を持たず、しかし無限に穴だらけでもある多孔質の結晶です。結晶の中に多方向に分岐する通路が穿たれ、精妙なインクルージョンの流体に取り巻かれ、浸透し結節されている限りにおいて、「宝石」たちの身体も精神も存在自体もどんなに小さくてもサイバネティクス的に構成された1つのネットワークであり世界です。彼らの総体は様々な波動に満ちた物質の依り代のようなものです。「宝石」たちの生命としての流体を定義するのは凝集性や凝集力の発露、すなわち部分に分割されえない集合の可能性ですが、それは彼らが抽象的な物質であるがゆえに当てはまることです。彼らの精神と魂と身体は分割不可能であって、彼らの能力を決定する生命的な資質だけでなく、物体の靭性と硬度、あるいは彼らの分割の可能性と不可能性を規定する(恐らくは月人からの)圧力が、彼らに繰り返し示唆を与えています(過剰反応を起こすと月に連れ去られてしまいますが)。だから、「宝石」たちは硬さとともに生命としての弾性を備えているというべきでしょう。
 彼らの弾性は彼らに能動的に作用する圧縮力の表現であり、不死とはいえ有限の物体という形態であったり、様々な形状へと変異して融解したり無限になったりするにしても、モナド的な硬度を外挿する原子論的なライプニッツの言説も、有機的な流動性を欲するデカルト的仮説も、分割不可能な生命としての「宝石」たちの結晶が器として既定されているのですから、結局はインクルージョンの結節の中、インクルージョンのネットワーク内にすべて収斂します。弾性としての「宝石」たちは諸々の部分を形成しつつ凝集し、これらの凝集が襞を形成し、彼ら一人一人は明確な個でありながら、個として認識されるのではなくむしろ無限の襞や曲線的な運動として分割され、堅牢な周囲の環境によって規定され・限定されます。
 彼らは実存の襞として分割されています。すなわち、無限の襞が存在し、襞の中に襞があります。「宝石」たちを構成するインクルージョンの最小要素は襞に置き換えられるものであり、抹消線としての末端なのです。インクルージョンと微小生物がなすネットワークは弾性的・圧縮的な力の集積であり、微細で相対的な生命活動によって拡げられた襞は、ただひたすらに他の襞に至るまで襞を追います。互いに引きつけあい・反発しあうモナドが、対立しあう力によってインクルージョン自体を変化させては、また変化させます。その変成の果てに「宝石」たちの生成変化があるのでしょう。生成変化の行きついた極端な例が、複数の部分要素を接続されてサイボーグ/ハイブリッド/モザイク化したフォスフォフィライトでしょう。
 「宝石」すなわち鉱石と生命、鉱石と有機体には類縁性があります。有機的な襞は固有の特性を有していますが、そもそも無機物における部分の分割は生命における形態発生に等しいものです。そこには折り畳まれた中間状態が無限にあり、無限である点において無機物も生命も有機物もすべて可能であり自然なのです。また、世界が無限の多孔性であるとするなら、物体中に複数の世界を存する「宝石」(すなわちフォスフォフィライト)もまた弾性の働く世界であり、彼は「宝石」=鉱石という無機物が無限に分割される可能性を示しています。「宝石」における襞ー生命は襞ー物質であり、ここにもまた物質=無機物と生命=有機物との類縁性が認められます。それは物質の筋肉的な可塑でもあって、あらゆるところに弾性が導き入れられるということでもあります。有機体が有する内因的な襞と無機体が有する外因的な襞、「宝石」たちはこれら二重の襞を内外に有することで、あたかも有機体の発展のように変容します。無機的であれ有機的であれ物質は同じであり、それに働く能動的な力もまた同じなのです。それゆえ、「宝石」は有機体と等置され、有機的な襞は潜行する無機的な諸力とは弁別されて「宝石」たちの内で物質的な諸力となり、鉱石から不死の生命を創出します。
 あらゆる「宝石」は前成的に存在する鉱石から生まれます。彼らはメカニズムを逸脱した生物ではなく、あまりにも人工的であまりにも機械化された生物のあり方なのでしょう。鉱石の内にインクルージョンの無限機械を構成する内的限定、極化された塊=魂へと向かう内的な個体化。内的到達の果てに「宝石」たちの魂の凝集がある限り、彼らの有機的内部性は派生的なものにとどまらず、高次の概念的なものになります。すなわちライプニッツアルルカン。内的世界を滲みだして外世界をも浸蝕する過剰なまでの普遍性と遍在性があるからこそ、「宝石」たちはみな美しいのでしょう。

 

5、I Have Dreamed Of You So Much

vimeo.com

 アートアニメからはこちらを持ってきました。2016年以前の作品ですが、私が観たのが2017年だったので、恐縮ながらランクインさせました。詳細については以前テキスト化しておりますので、再掲します。今年度の文化庁メディア芸術祭については、動きがあり次第、また取り上げたいと思っております。

otomegu06.hateblo.jp

 第二次世界大戦中に活躍したロベール・デスノスの詩『J’ai tant rêvé de toi』をアニメーション化した意欲作です。豊かな色遣いと繊細な筆致に彩られ、美術展の抽象絵画がアニマを有したようなメタモルフォーゼとマチエール。大胆な構図と斬新な構成を併せ持つ美術的な価値。メディア芸術祭の選評で触れられていたのはここまでです。しかし、ロベール・デスノスシュルレアリスム詩の美しく歪んだ不条理で不可思議で夢幻でリリカルで超現実的な・・・しかしシュルレアリスム詩の中では最も想像力豊かで切なく感動的な永遠の愛を謳ったデスノスの詩世界を、現代の感覚で包み込んで見事に映像化し、我々の感性と琴線を増幅してのけたという文学的価値も、併せて高く評価すべきアニメーションだといえるでしょう。
【詩の原文】
J’ai tant rêvé de toi que tu perds ta réalité.
Est-il encore temps d’atteindre ce corps vivant et de baiser sur cette bouche la naissance de la voix qui m’est chère ?
J’ai tant rêvé de toi que mes bras habitués, en étreignant ton ombre, à se croiser sur ma poitrine ne se plieraient pas au contour de ton corps, peut-être.
Et que, devant l’apparence réelle de ce qui me hante et me gouverne depuis des jours et des années, je deviendrais une ombre sans doute.
O balances sentimentales.
J’ai tant rêvé de toi qu’il n’est plus temps sans doute que je m’éveille. Je dors debout, le corps exposé à toutes les apparences de la vie et de l’amour et toi, la seule qui compte aujourd’hui pour moi, je pourrais moins toucher ton front et tes lèvres que les premières lèvres et le premier front venus.
J’ai tant rêvé de toi, tant marché, parlé, couché avec ton fantôme qu’il ne me reste plus peut-être, et pourtant, qu’à être fantôme parmi les fantômes et plus ombre cent fois que l’ombre qui se promène et se promènera allégrement sur le cadran solaire de ta vie.

 

【2017年とりあえず総括】

 大作なし。大豊作と評した2016年に比べると、極私的には盛り上がりに欠けた1年でした。劇場アニメが活況だった2016年に対して、2017年は映画の大作がありませんでした。結局、ベスト5には1本も入らず。『君の名は。』『聲の形』などのような斬新な企画がなかったのが残念でした。

 TVアニメとアートアニメの作柄は平年並みというところでしょう。しかし、昨年の『Rhizome』のように脳を揺さぶられる知的刺激のある作品には出会えませんでした。アニメの表現技術・手法は引き続き進化を続けている一方で、現場からの悲鳴も相変わらず聞こえており、日本のアニメを巡る状況は変わらずという印象の1年でした。なんだか寂しいまとめになりましたねえ。

 2018年は、大作や知的衝撃を与えてくれる作品に出会えることを願います。