1987福岡国際マラソンおよびドーピングとか100mとか
今月は陸上の日本選手権があります。リオ五輪に向けた最大の選考会を控えて、選手たちの動きが活発になってきているようです。
【100m 桐生&山県&ケンブリッジ】
鳥取で行われた布勢スプリントで好記録が生まれました。
詳しくはこちら。
向かい風0.5mでの記録なので、まずまずといったところですね。ここ2・3年、山県は記録が伸びていなかった印象ですが、リオに向けて調子を上げてきました。桐生ももう大学3年生ですから、いい加減、洛南のときの記録を破って100m9秒台に乗せてほしいものです。ケンブリッジ飛鳥も含めて、9秒台を出せそうなメンツが揃ってきました。伊東浩司の記録からもう18年経ちますから、今年こそ壁を破ってほしいものです。日本選手権はハイレベルな戦いになりそうです。
【ドーピングで銀から銅に繰り上がり?】
そして、同じ短距離の話題ですが、やや不快感を覚えたのがこちらのニュースです。
北京五輪の400mリレーの銅メダルといえば、日本がアジア勢として初めてオリンピックで短距離種目のメダルを獲得した、記念すべきメダルです。そこにドーピングの問題が絡んでくるとは。
メダルが繰り上がって銅から銀になるのは喜ばしいことですが、去年から大騒ぎになっている陸上界のドーピング騒動については、早いところけりをつけてほしいというのが正直なところです。
陸上でドーピングが行われているのは昔からなので、今さら驚くことではありません。しかし、今回はロシアやケニアなどの国家レベルだけでなく、IAAFという組織自体の腐敗構造にまで踏み込んだ、かつてない大きさの極めて根の深いスキャンダルになっています。
前会長のラミーヌ・ディアックは、ドーピングに関わる収賄のスキャンダルだけでなく、息子ともども東京五輪の招致に関わる金銭スキャンダルで名前が出ています。そのため、日本でもすっかりおなじみの人物になってしまいました。
Lamine Diack - Wikipedia, the free encyclopedia
へたをすると東京五輪の開催そのものがふっとびかねない大問題ですが、まずは今年のリオ五輪の陸上種目がつつがなく開催され、フェアプレーの下にきちんと行われること。それを切に願っています。
【1987福岡国際マラソン】
さて、いきなり話が変わって恐縮ですが、ここからが本題です。陸上の五輪代表のうち、マラソン代表については既に決定しています。そして、男女の代表選手が本番に向けた調整を行っています。
近年、男女ともにマラソンの記録が低迷していることは皆さんご存知の通りです。女子は福士加代子のがんばりなどで少し記録を戻してきましたが、まだ全盛期に遠い状況です。先月、福士のレースに関する報道もありましたが、まだ本番には時間がありますので、前哨戦の結果で一喜一憂しないほうがいいですね。トラック種目では何回も五輪を経験している選手ですから、ベテランの調整を信頼したいと思います。
やや盛り返してきた女子に対して、男子の代表は2時間9分台が選考のボーダーという、低レベルな争いでした。おまけに、ナショナルチームのメンバーが1人も選考のテーブルにすら乗らないという、情けない状態でした。代表の3人にはがんばって入賞を目指してほしいところですが、今回もかなり厳しい結果を覚悟せねばならないでしょう。
世界のマラソンの記録が伸びている中、7分台すらほとんど出せなくなったのが、今の日本男子の惨状です。1986年に児玉泰介が出した、当時の日本記録が2時間7分35秒。現在、これを上回る持ちタイムの現役選手はいません。もし瀬古や中山、宗兄弟が現役だったら、今の選手たちを簡単に負かすと思います(昔はよかった・・・という言い方は嫌なんですが)。
箱根駅伝弊害論は散々語られてきたことですが、
箱根のスターを預かって、ことごとくだめにしていく実業団の育成能力のなさも問題です。
川内選手と実業団システム | Athlete Society Portal
意識の高いマラソンランナーを学生の時から育成し、かつ社会人になっても継続的に強化していく。このシステムを確立し、世界と戦える選手をどんどん育てて切磋琢磨しなければなりません。青山学院大学の原監督のチャレンジが成功し、日本の長距離・マラソン界の駆動力になるといいんですが。
現在は低迷している日本男子マラソン。しかし、1980年代から90年代初頭にかけては、瀬古、中山、谷口、森下、宗兄弟など多くの名選手を輩出し、世界のトップクラスの力を誇っていました。その黄金期の輝きを振り返ってみれば今の低迷を脱するヒントが見つかるか・・・どうかは分かりませんが、当時の選手たちのマラソンにひたむきに打ち込む姿勢、ハングリーさ、プロ意識などは、現在の選手たちにも受け継がれてほしいものです。
そして、私が1980年代の日本男子マラソンで、否、日本男子マラソン史上最高のレースだと思っているのが、中山が独走した1987年・福岡国際マラソンです。
1988年のソウル五輪では、それまで福岡の一発選考だったマラソンの代表選考が、陸連が瀬古を選出したいがために、福岡開催直前、東京・びわ湖を加えて複数レースでの選考に急遽の変更となりました。中山の「這ってでも出てこい」という発言は、陸連の曖昧さに対する批判の吐露だったのでしょう(実際にはそうは言っていないそうです)。そして、現在に至るまで、陸連は複数レースによるあいまいな選考が起こす諸問題を解決できておらず、何度も騒動を起こしています。来年の世界陸上の選考からはやや明快になりそうですが。
映像のリンク先にもありますが、強風が舞い、氷雨が降りしきる1987年の福岡で、中山は悪コンディションをものともせず果敢に飛び出しました。
ラップタイムは次の通りです。
5km 14:35
10km 29:05(14:30)
15km 43:40(14:35)
20km 58:37(14:55)
中間点 1:01:57
25km1:13:48(15:01)
30km1:29:02(15:14)
35km1:44:25(15:22)
40km2:00:45(16:20)
ラスト2:08:18(大会最高記録)
(参考サイト)
前半は現在の高速マラソンに匹敵するハイペースです。もし35km以降に土砂降りとならなければ、世界初の6分台突入という、とてつもない世界記録が出ていたと思います。瀬古は中山について「私より強い」「記録だけなら3・4分台で走っている」とコメントしていましたが、この福岡の走りが一つの証明になっているんでしょうね。
この福岡が中山のベストレースであり、私は日本男子マラソン史上最高のレースだと思います。
中山は五輪のメダルこそ逃しましたが、ソウル・バルセロナ連続4位という好成績を残しました。また、この福岡と同じ1987年には、当時の10000mの日本記録27分35秒もたたき出しました。彼は箱根駅伝未経験であり、実業団の名門に所属したわけでもありません。80年代当時から、瀬古や谷口らと比べると異端児のように見られ、陸連に公平な扱いを受けたわけでもありません。しかし、瀬古から日の丸を受け継いで日本マラソンのエースとなったのは、谷口ではなく中山でした。
中山のスタイルは、30キロ以降に粘りに粘るという日本マラソンのスタイルを突き崩し、前半から独走して高速レースを展開するというものでした。このスケールの大きさに多くのファンが惹かれたわけですが、2002年以降、アフリカ勢が展開している2時間3・4分台の高速レースに対応するには、この中山のスタイルを先駆として参考にするべきではないでしょうか。
あの福岡から約30年が経ちました。低迷する男子マラソンの空気を吹き飛ばす、中山や瀬古を超えるスケールを持ったエースの登場はいつになるんでしょうか。