レトロゲームやってみた①~serial experiments lain~
このところ体調を崩して仕事を休みがちだったので、家で昔のPSのレトロゲームをやる機会がありました。それらの感想をいくつか並べてみたいと思います。ネタバレを含みますので、ご注意ください。
【PS版『lain』】
『serial experiments lain』はPSのゲームとアニメとでメディアミックスとなっている作品であり、PSのゲームはアニメのファンアイテムという色が強いです。
ネットオークションだと数万円の値がつくこともあるそうですが、好きな人は好きだということですね。私も好きな作品です。
ただし、純粋にゲームと呼ぶのがはばかられる作品でもあります。単線的にプロットを追っていくのではなく、多層のレイヤーに仕掛けられたファイルをクリックし、音声テキストや映像を再生しながら、物語の進行について、プレイヤーが断片をパズルのように組み合わせて自分で解釈する形式です。どのテキストを真実とみなすかはプレイヤー次第です。
精神障害を負って、治療のためにカウンセリングを受けている岩倉玲音。玲音のカウンセリングを担当する新人カウンセラーの米良柊子。ゲーム序盤のファイルには、2人の会話の様子やカウンセリング記録などが平穏に綴られています。途中まで玲音は順調な治療過程を経ているように見えますが、中盤以降で現実と幻覚の境界があいまいになり始め、玲音が正気なのかどうか疑わしくなっていきます。そして、玲音の素性を調べ始めた柊子は、ワイヤードや人間の魂魄にまつわる真実らしきものに触れ始め、だんだんと狂気の度を増していきます。玲音自身も、周囲の人間たちを狂気に陥れて人格を抹消したり、フランケンシュタイン的な疑似身体を作り上げては破壊したりなど、試行錯誤を繰り返しながら、身体と魂にまつわる真理へとだんだん近づいていきます。そして、最後は身体と精神の境界の抹消された異界へと旅立ちます。・・・とまあ、ゲームのあらすじにならないあらすじをまとめると、こんな感じでしょうか。
多彩な解釈ができる作品ですが、アニメが世界や地球レベルでの変容を語る物語であるのに対し、ゲームはあくまで玲音という個の位相の物語です。魂や精神をソフトウェア、身体をハードウェアととらえるのは、クラシカルなサイバーパンク的枠組みです。
ダグラス・ラシュコフは『サイベリア』において、人間の意識や精神、魂、霊、魔術的な超越、神性、ドラッグによる異空間(幻覚)へのトリップ、ダンスやカオス数学による昂揚、座禅などで意識を明晰にすること、霊的な幻視などと、WEB上の情報空間とは同じ位相にある統一的な形態形成場であるという考えを提唱しました。
人間の本質はハードウェアである身体ではなくソフトウェアである魂/精神にあり、WEB上のないし霊的な形態形成場でソフトウェアとしての魂/精神が保存可能であるとするなら、人間は身体がなくとも情報体として人格として存続できます。これもサイバーパンクでは繰り返し語られてきたことです。精神分析を入り口として、玲音は徐々に物象の世界から形態形成場へと自己の本質を移行させていきます。その過程で彼女の意識は明晰になり、行動は明確な意味性を帯びつつも過激になっていきます。彼女に巻き込まれた人間たちは、身体の外にある世界の真理を理解できないため、次々と人格に破綻をきたしていきます。
ラストシーンは、玲音が身体を脱してWEBないし霊的な場に自己を解放し、自由になるところで終わります。物象から意識が放たれることで、玲音は救済を得て、唯物論的な世界を脱け出します。
霊的な位相に軸足が置かれてはいますが、PS版『lain』では、精神-身体(物象)という古典的な物心二元論的な二項対立の枠組みが依然として存在していて、身体という軛を完全に抹消できてはいません。また、この物語はあくまで玲音という個の変容を扱った物語に過ぎず、彼女が霊的に解放されても物象世界はそのままそこに彼女とは無関係に存在し続けています。そのため、PS版『lain』は情報体である人間の本質を表象として身体から超出しようと試みつつも、身体性を完全に遺棄するには至らず、語りが旧来の唯物論の枠組みにとどまってしまっているといえるでしょう。
Karl Marx: Thesen über Feuerbach (Fassung 1845)
【アニメ版『lain』】
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PS版『lain』を語るためには、アニメ版にも触れておかねばなりません。ゲームとアニメはほぼ同時進行で進められていましたが、アニメのほうがやや早くオンエアされました。結果としては、アニメの世界を咀嚼してからゲームの世界に入ることができたため、ゲームを解釈しやすくなったと思います。
PS版が玲音という個の物語であるのに対し、アニメ版は世界・地球レベルでの意識変容を描き、「世界とはなにか?」「存在とはなにか?」「神とはなにか?」などという形而上的・根本問題的な問いにまつわる神学的なテーマを追求した、壮大な物語となりました。
同じように形而上的・根本問題的な問いを発した壮大なアニメとしては、やはり『エヴァンゲリオン』が想起されます。『エヴァ』は「人類補完計画」というコードウェイナー・スミス「人類補完機構」に範をとった人類の救済を描こうとしましたが、
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結局、テレビアニメ版の尺の範囲では描き切ることができず、25・26話で破綻して物議を醸しました。
対して、アニメ版『lain』は、『エヴァ』と同じ形而上的・根本問題的な問いかけを行いながら、神学的なその問いに一定の解答をもたらし、かつ物語としてしっかり描き切った、稀有な成功例だったといえるでしょう。
『lain』における地球規模の意識変容を引き起こすからくり、および『lain』の世界における神の定義については、第9話・第10話で語られています。
第9話では、まずロズウェル事件とMJ12事件を持ち出すことで、世界設定における疑似科学やサブカルチャーの影響が示唆されます。
次いで、ティモシー・リアリーとジョン・C・リリーを介してドラッグカルチャーとサイバーカルチャーが接続され、ドラッグを用いたトリップによる意識変容と、サイバーパンク的な情報空間に没入する意識変容が、同じものであることが示されます。
そして、ヴァニヴァー・ブッシュとテッド・ネルソンを使って、『lain』におけるワイヤードがただのネットワークではなく、人間の意識(=コギト)さえもハイパーテキスト化しうる、超越的なネットワークであることが示されます。
ここまでならPS版と変わらないんですが、アニメ版ではここからさらに盛られます。上述のダグラス・ラシュコフ『サイベリア』を用いて、人間の意識変容をネットワークによって統合することで地球の意識をも変革しうる、すなわち人間が全地球的な神的存在になりうることが示されます。ここで利用されるのが、「地球の脳波」といわれるシューマン共鳴です。
ダグラス・ラシュコフ『サイベリア』(アスキー出版局)訳者あとがき
総務省|東海総合通信局|コラムvol.21 シューマン共振(共鳴)
シューマン共振の真実と未来、そしてその音楽の周波数の可能性のお話(ver.1~4.071) : Atlastman's space
英利政美はここまでのニューラルネットワーク仮説をさらに進化させ、人間はデバイスの必要なしでワイヤレスネットワーク上に無意識化に配置される、という仮説を打ち出しました。そして、英利は第7世代プロトコルにシューマン共鳴のファクターを書き加え、プロトコルの発動によって人間の意識が無意識的領域=ワイヤード=霊的位相へとトリップするための仕掛けを施しました。これによって、人間の精神=魂は情報体=ソフトウェアの生命を宿し、身体から脱け出て存続できるようになりました。そして、ハードウェアである身体は不要となり、生死の境界を超越することができるようになりました。このような超越的存在こそ神であり、英利政美自身も命を絶って身体を超越し、神になりました。
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伊藤計劃『ハーモニー』では、英利が使ったのと同じ類の仕掛けが用いられ、世界が静的に変容されるという結末を迎えました。
第10話冒頭で、『lain』世界における神について詳しく語られています。神とは世界を統べるものであり、世界を情報によって支配するものであり、世界に遍在するものです。これはスピノザ的な汎神論に近いものであり、ライプニッツのモナドロジーに通じるものでもあります。
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一方で、崇める者がいなければ神たりえないということも示されます。これはアニミズム的な神のあり方です。英利政美は自らの信者として、リアルワールドでは「東方算法騎士団」(Knights of the Eastern Calculus )=ナイツを作りました。かつ、ワイヤード上に遍在する情報体/表象であった‟lain”にホムンクルスとしての身体を与えて‟岩倉玲音”としました。英利は玲音=lainに自らが少女の創造者であることを明かし、少女に自分を崇めるよう促しました。ワイヤードにおいても物象世界においても、英利は創造主として振る舞おうとしました。
しかし、玲音=lainはナイツを壊滅させ、英利政美を神として崇めることを拒絶しました。そして英利の神性を奪い、彼を創造主からただの人間へと引き戻しました。代わって、玲音=lainが創造主的な力を得ました。しかし、彼女は世界に思うまま力を振るうのではなく、全てを英利によって改変される前の状態にリセットして自分のいない世界を創造する、つまり世界をワイヤードの影響のない本来の状態に戻す、という選択をしました。そして、玲音はワイヤードの悪意の表象でもあるlainを消滅させ、世界に遍在する傍観者として静かに世界と人々を見つめ続けることを選びました。
世界に遍在する神的存在となった玲音について理解するためには、旧来の唯物論ではなく、ドゥルーズ哲学を召喚してカントやヘーゲルの超克を試みる思弁的実在論やオブジェクト指向哲学ほか、新しい唯物論を用いるのが適当でしょう。世界に遍在する玲音を物象化しつつ物象化せずに玲音それ自身としてとらえることで、アニメ版『lain』10~13話の神学的展開および救済についてより深く解釈できるはずです。
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各種のカウンター・カルチャーを縒り合わせ、形而上的・神学的な世界変容を行いながらも、最後は地に足の着いた日常へと回帰することで、玲音自身も世界も救われて安らぎを得たのですから、アニメ版『lain』は明確なハッピーエンドだったといえるでしょう。
【まとめ】
非常に長くなりましたが、簡単に対比すると、PS版『lain』が玲音という個人のレベルの救済にとどまっているのに対し、アニメ版『lain』は世界や地球レベルの意識変容や救済を扱った形而上的な作品だったということです。とはいえ、これは私個人の勝手な解釈に過ぎません。『lain』では、アニメについてもゲームについてもこれまでいくつもの解釈がテキスト化されてきました。『lain』は多様な考察ができる面白い作品です。このテキストもあくまで一つの意見として、ニュートラルにとらえていただければいいと思います。