2016極私的回顧その11 詩
まだ2016年が終わっておりません。どんどん行かないと。次は詩についてのまとめに参ります。これまたいつものお断りですが、テキスト作成のためにamazon、《現代詩手帖》ほか各種レビューを参照しております。また、これも毎年のお断りですが、詩誌や同人をきちんと追っていないので、不完全な総括であることをご容赦ください。
【マイベスト5】
1、森へ
八ケ岳の森において展開される静謐な風景は神学的な深みをたたえ、詩人が積み上げてきた膨大な言葉の蓄積が濾過された濃厚な詩語の連なりは、詩人が幻視する受肉、そして彼岸について夢想するコノテーションに溢れています。啓示的な詩は読者の理解を軽々と超えていきますが、それもまた超越的な愉楽の一端ととらえるべきか。読み手をかなり選ぶ詩集ですが、2016年の詩集で最も美しかった一冊です。
2、オバマ・グーグル
グーグルでオバマを検索し、上位に入ったWEBページから取り出した言語を散種して再構成した、良く言えば実験的な、悪く言えば読者をなめくさった作品です。膨大な情報に溺れる現代の我々への揶揄であり批評である詩語の群れ。剥落した言語をディレクションした、詩人のハイセンスこそがこの詩集の肝であるといえるでしょう。
3、夜空はいつでも最高密度の青色だ
儚く明滅する抽象性と根を下ろした身体性。矛盾したガジェットが同居するナイーヴさを詩の技巧にくるんで読み手に提供する巧みさ。やっぱり最果タヒです。透明感があって、ぬくもりを帯び、身体と精神の欠如に浸み入ってくる血と熱こそがこの詩集の焦点です。身体も精神も還元した果てに残る夜空は、単に明滅する光ではなく「最高密度の青色」なのでしょう。
4、まどさんへの質問
この本はまど・みちおへの鎮魂歌でもなく墓でもなく、詩というジャンルについての換喩的な私語りです。まど・みちおは生と思考を一体として、思考の襞を作り上げました。イマージュとテクストが所狭しとひしめき合う中、ところどころに出現するシンコペーションは、詩人の認識に直結するとともに、叙情性にもつながっています。ライトヴァースでありながら哲学的な深みをたたえた良作です。
5、サール川の畔にて
海外詩からはこちら。既に当ブログでレビューしているので、再掲します。
暗く強い詩想をぶつけてくる作品です。ロマン主義とは、古典主義において封じられていた人間の内的感情を作品に炸裂させる文学・芸術運動であるとするなら、作品には作者の人生そのものが投影されます。この作品にもロサリアの人生が強く照射されています。ロサリアは子供の死、自分の重い病、修道院からのいわれなき罵倒など、様々な困難を経ながらこの連作を紡いだそうです。そのため、全体に厭世感に満ち、人生の陰鬱と絶望を直球で読者に投げかける言語の連鎖は、読者のもろい琴線を破壊しかねない威力/魅力にあふれています。私はスペイン語が読めないので、原文との比較はできませんが、訳詩で選択された一語一語はシンプルながら力強く、殺伐とした叙情を読者に刻み込みます。しかし、失意にあふれる一方で、母として子を想い、また自らも必死に人生を切り開こうとする、強い生への渇望も見られます。陰鬱な風景の中にところどころ差し込むかすかな光が、この連作にわずかながらも救済をもたらしているといえるでしょう。
【2016年とりあえず総括】
震災以来の重苦しい言説がようやく下火になったと思ったら、その反動なのか、2016年の詩壇は躁状態に明け暮れていた気がします。ジャンルの紐帯が堅牢に維持されていたという点では、文学にとって幸福な年であったともいえるでしょう。ここ数年、特需とも称される現代詩の特殊状況において、国家と結びついていた文学言語の解体がさらに進み、最果タヒのように彼岸へと流れていく詩人もちらほら見かけました。
また、2016年は形而上的な詩集がいくつも刊行された年でもありました。言語が蒸留されて立ち昇る芳香こそ愉楽。そこに溢れるペーソスと再帰性こそが、ライトヴァースに代表される現代詩が有する哲学的・神学的含意なのでしょう。