2017年極私的回顧その19 SF(国内)
極私的回顧19弾はSFの国内作品についてのまとめです。SFにジャンル分けできるものでも、作品によっては近接ジャンルのファンタジー・幻想文学などに配置している場合があります。また、いつものお断りですが、テキスト作成のために『SFが読みたい』およびamazonほか各種レビューを参照しております。
【マイベスト5】
1、構造素子
第5回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作を、先物買いの意味も込めて1位にしてみました。現実と虚構の構造を厳密に線引きして階層化し、論理学的に構成された物語が秀逸です。そして、父の思いを受け取る親子の物語を詩情豊かに細密に描写しながら、SF的なガジェットやネタのみならず哲学的・言語学的含意およびアイデアをふんだんにばらまき、SF的想像力を駆動させて物語を収斂へと誘います。大技から小技までいくつもの手管を用いて構築された恐るべきデビュー作であり、物語構造が読者の脳内で演算される極めて知的な作品です。極私的には伊藤計劃・円城塔の登場時を思い起こさせるような衝撃を受けました。ポスト伊藤計劃という言葉は使い古されていますが、伊藤計劃や円城塔らの知的なSFの系譜に連なる、高いレベルの思弁を駆使できる作家の登場だと思います。次回作も読者の知的琴線を揺さぶる作品を期待したいものです。
2、ゲームの王国
上巻がポル・ポトの時代を扱ったノンフィクション・ノベル、下巻がメタフィクション的SFという対照的な構成ながら、異なる位相の物語をマジックリアリズム的な想像力で接続し、現実の21世紀を彷彿とさせるリアルなSFとして成立させました。また、主人公たちは世界を相手に苦難の歴史を転倒させようというゲームを挑んでいますが、彼らの真摯な姿勢と成長が瑞々しく描かれています。2作目とは思えないほどの堂々たる出来栄えであり、恐らくこれが小川哲の代表作の1つになるのでしょう。
3、もはや宇宙は迷宮の鏡のように
荒巻義雄の初期代表作〈白樹直哉シリーズ〉の約30年ぶりの続編にして完結編であり、〈荒巻義雄メタSF全集〉の白眉を飾る作品です。既存の宗教や哲学をもとに思弁的な設定および物語が構築され、そこに荒巻義雄独自の発展的概念を加えることで、幾層にも重なる思索の襞が出来上がりました。用語にも構成にも哲学・思想書を思わせる抽象度の高い部分が見られますが、決して難解な作品だとは思いません。豊饒な思弁の襞をとくと味わうべし。荒巻義雄、健在なり。
4、世界にあけられた弾痕と、黄金の原郷~SF・幻想文学・ゲーム論集

世界にあけられた弾痕と、黄昏の原郷〜SF・幻想文学・ゲーム論集 (TH SERIES ADVANCED)
- 作者: 岡和田晃
- 出版社/メーカー: 書苑新社
- 発売日: 2017/05/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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先日、SR関連に関する極私的回顧・まとめのテキストを挙げましたが、
SFサイドにおいてSR関連を前面に立て、活発な批評活動を行うアクターが岡和田晃です。そして、文芸と理論のみならず多彩なジャンルを架橋=越境し、軽やかに批評の網を広げていく彼の姿は、非常に眩しいものに映ります。この論集に収められた手数の多さと、背景にある泥臭いテキスト探索こそ彼の強みでしょう。さて、次にお会いして議論できるのはいつになりますか・・・。
5、自生の夢
飛浩隆が21世紀に入ってから出した作品をまとめた短編集です。寡作な作家さんですが、こうして並べると個々の作品のクオリティはやはり極めて高いものです。言語SFの傑作群、情報をため込む異質な海洋、1980年代の短編のリミックス、意識とは何か・存在とは何かという根本問題的な問い。各短編で奏でられるメインテーマは極めて重厚です。そして、テーマ性を支える美しい描写と巧みなガジェットが読者のSF魂をくすぐります。
【とりあえず2017年総括】
海外SF同様、強度な思弁を有する作品をベスト5に並べてみました。翻訳というフィルターがかかっているので括弧付けの見方になりますが、翻訳SFと国内SFを並べてみると、2017年は国内SFの方がスペキュレイティブ・フィクションとして優れた作品が多かった気がします。昨年の回顧で「伊藤計劃以後」という使い古されたキーワードを引っ張り出し、劣化再生産を嘆く旨を書きましたが、20年代に向けて独自の思弁を駆使する書き手が出てきている印象を得て、「伊藤計劃以後」に光明が見えた2017年でした。樋口恭介と小川哲の2人は明らかにスペキュレイティブ・フィクションの系譜に位置付けることがですし、草野原々のでたらめさは今さら言うまでもないところですし。運動体としての日本SFがどうやら面白くなってきました。
では、この若い作家たちを適切に批評するために必要な理論的ベースとは何でしょうか? 自分の中の理論的枠組みがポストモダンの位相にとどまっていては話にならないのでしょうね。SR関連が理論的に有用かどうかはまだ判断できないところもありますが、やはり最新の文藝=文芸と最新の批評理論とをできる限り架橋して追い続ける読書姿勢こそ、最も必要であり誠実なあり方なのでしょう。私はまだまだ読書量が足りず、守備範囲が狭いです。2017年も毎年の自戒を繰り返す羽目になりました。