2017年極私的回顧その22 幻想文学
極私的回顧22弾は幻想文学です。SF・ファンタジー中でも文学性が髙いと思ったもの、あるいは文学・文藝作品で幻想性が主であると判断したものを中心に配しております。作品数が少ないので、内外の作品を取り混ぜて扱っております。また、いつものお断りですが、テキスト作成のために『SFが読みたい』およびamazonほか各種レビューを参照しております。
【マイベスト5】
1、アレフ
新刊ではありませんが、ボルヘスは全くの別格なので問答無用の1位です。圧倒的な幻想性と衒学的世界、訥々と語られる暗夜の深淵、土着の信仰と永遠の時間に彩られたマジック・リアリズムの源泉・・・と私が陳腐な言葉を並べるまでもありません。有無を言わずに読みましょう。ここに世界文学の頂点の一つがあります。
2、澁澤龍彦 ドラコニアの地平
澁澤龍彦についても些末なコメントは不要でしょう。昨年、世田谷文学館で行われていた大回顧展の図録です。図版・対談・エッセー・インタビューなどの多くが既出のものですが、まとめとして優れています。回顧展も澁澤のペダンティックな世界を堪能できる濃厚な展示で、非常に楽しいものでした。
3、隣接界
幻想性が髙いと判断して幻想文学のカテゴリーに持ってきました。これまでプリーストが描いてきたモチーフのほぼすべてが投入された大作です。奇想を軸に織り上げられた物語が鮮やかに収斂する構成、技術と幻想の絶妙なバランスの取れた描写など、プリーストの円熟の技を存分に味わうことができます。本来であれば1位に置くべき作品ですが、ボルヘスや澁澤との比較ではやはりこの位置になってしまいますね。
4、麻薬常用者の日記
これも新刊ではないうえに出来のいい小説ではないので、本来はランキングにふさわしくないのですが、入れるとしたらここかホラー・怪奇しかないので、強引に押し込みました。極私的には、クロウリーはただのいかれた薬物中毒者でありペテン師であり人格破綻者です。そして、彼の書いたテキストは全てジャンクでありクズです。クズであるがゆえにそのテキストを読む価値と意味があり愛おしいという、被虐・加虐的(??)趣味によるランクインです。
5、木に登る王
幻想文学とは文章そのものから幻想の香気が漂うものである、というのが極私的な幻想文学の定義です。ミルハウザーは卓越した文章の技巧を持ちながら、表面的な空想性にとどまることなく、物語の主題である実存のあり方そのものに幻想性・空想性をまとわせることができる、稀有な作家です。収録された短編のモチーフはまちまちですが、人間への愛や憧憬や執着という変奏においてはきちんと通底しています。
【2017年とりあえず総括】
小説以外のものがいくつか入ってしまったため、ある意味で非常に濃厚なベスト5になりました。海外文学で幻想性の高い作品がいくつかあったので、本来はそれを入れたかったところですが、ボルヘスと澁澤とクロウリーにはじき出されてしまいました。翻訳文学についての総括は海外文学の項で行っていますが、2017年もエッジの鋭い作品の供給は活発で、良好な作柄だったと思います。
欠落ある写本: デデ・コルクトの失われた書 (フィクションの楽しみ)
- 作者: カマルアブドゥッラ,Kamal Abdulla,伊東一郎
- 出版社/メーカー: 水声社
- 発売日: 2017/10/24
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
翻訳作品の鋭利さに対し、2017年も国内作品は今一つでした。私小説が文藝の軸をなして活発に刊行され、幻想性のあるスリップ・ストリーム的作品がその周りを軽やかに飛び交う状況が理想です。しかし、幻想性について評価できる作品も作家もごく少数という状況でした。私の目が曇っているのか、私の読書量が足りていないのか、文藝サイドの想像力が枯渇しているのか、文藝の質の低下と考えるべきか。2018年は是非、日本人作家の衝撃力のある幻想小説を読みたいものです。