otomeguの定点観測所(再開)

文芸評論・表象文化論・現代思想・クィア文化・社会科・国語表現・科学コミュニケーション・初等数理・スポーツ観戦・お酒・料理【性的に過激な記事あり】

『七人のイヴ』短評

 SFの書籍のレビューは久しぶりのような気がします。本来、このジャンルが私屋このブログにおける核であるはずなのですが。毎度毎度の遅ればせですが、先日3部作が完結した『七人のイヴ』のレビューに参ります。なお、テキスト作成の際にテキスト内のリンク先ほかいくつかのレビューを参照しております。

  

七人のイヴ 1 - 「人類、生き抜きすぎにもほどがある」――いや、まったくだ。『七人のイヴ』 - シミルボン

https://www.hayakawabooks.com/n/ne608c4e331c0

ニール・スティーヴンスン - Wikipedia

  16年ぶりのニール・スティーヴンスンの邦訳。それだけでもワクワクしましたが、間違いなく作者の現時点における(邦訳されている中では)最高作品にして、2018年度のベストSFの一角でしょう。「ビル・ゲイツオバマが絶賛!」とか「人類、生き抜きすぎ」とか、壮大な言葉(??)がオビに並んでいましたが、確かに称賛していいランクのSFでしょう。Ⅰ・Ⅱは、人類を襲うディザスターと生き残りをかけて苦闘する人類、そして再生の歴史を描いた壮絶な未来史です。それに対し、Ⅲは5000年後の人類の歴史や都市環境の描写と、地球におけるファースト・コンタクトを描いたSFで、ロマンチックなムードさえ漂っています。Ⅰ・ⅡとⅢがこれだけ好対照な構成になっている三部作は珍しいような気がしますが、読者視点から見れば壮絶な未来史であるⅠ・Ⅱが本編で、Ⅲは5000年後の世界を描いたエピローグです。しかし、スティーヴンスンにとってはⅠ・Ⅱはあくまで序章に過ぎず、本当に描きたかったのはⅢの後半におけるロマンチックな物語なのでしょう。それだけに、Ⅲの後半が駆け足で過ぎ去ってしまったのはやや尻すぼみ感があります。文章に冗長なところがあるうえ、ただでさえ分量の多い作家なので、これ以上長くされると読みにくくてしゃーないという面はありますが。でも、極私的にはファースト・コンタクトの瑞々しい物語をもっと見せてほしかったという気がしています。結構魅力的な世界が構築されているので、続編とか短編集とか、シェアード・ワールドで他の作家が書くとかしてくれると嬉しいんですが。というか、Ⅲのあとがきにもあったように、スティーヴンスンにはもっとSFを書いてほしいんですが。なかなか難しそうですね。 

スノウ・クラッシュ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

スノウ・クラッシュ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

 
スノウ・クラッシュ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

スノウ・クラッシュ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

 
ダイヤモンド・エイジ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ダイヤモンド・エイジ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

 
ダイヤモンド・エイジ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ダイヤモンド・エイジ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

クリプトノミコン〈1〉チューリング (ハヤカワ文庫SF)

クリプトノミコン〈1〉チューリング (ハヤカワ文庫SF)

 
クリプトノミコン〈3〉アレトゥサ (ハヤカワ文庫SF)

クリプトノミコン〈3〉アレトゥサ (ハヤカワ文庫SF)

 
クリプトノミコン〈4〉データヘブン (ハヤカワ文庫SF)

クリプトノミコン〈4〉データヘブン (ハヤカワ文庫SF)

 
クリプトノミコン〈2〉エニグマ (ハヤカワ文庫SF)

クリプトノミコン〈2〉エニグマ (ハヤカワ文庫SF)

 

 過去、ニール・スティーヴンスンの邦訳は3作が刊行されていますが、いずれもサイバーパンク/ポスト・サイバーパンクの圏域に入る作品です。従来のサイバーパンクは、テクノロジーをハードSF的な物語の核ではなく、猥雑な世界に散種された修辞というか世界にばらまかれたジャンクとしてとらえ、(ブルース・スターリングルーディ・ラッカーなどの例外はあるものの)科学的・技術的な描写は重視されない側面がありました。しかし、スティーヴンスンはコンピューターや物理学ほか様々な科学的・技術的知識をつぎこんで、テクノロジーの描写を膨大かつ精細に行います。そこに様々な社会的・文化的実験のアイデアをつぎ込んで長大で複雑なプロットを織り上げ、コミック的な演出で味付けをします。いかにも私を含めたSFのコアの読者が喜びそうな作風です。テクノロジーと社会・文化を有機的に結びつける手法には、スティーヴンスンのジャーナリストとしての側面が反映されているともいえるでしょう。現在、アメリカでは彼はジャンルSFの作家というより、科学技術ジャーナリスト的な認知度の方が高いようです。これらの要素が凝縮されたSF作品が、表題通りバロック文学の手法を強烈に意識した『The Baroque Cycle』ですが、残念ながら未訳です。極私的には、『The Baroque Cycle』こそスティーヴンスンの最高作品だと思いますが。

Quicksilver: The Baroque Cycle #1

Quicksilver: The Baroque Cycle #1

 
The Baroque Cycle: Quicksilver, The Confusion, and The System of the World

The Baroque Cycle: Quicksilver, The Confusion, and The System of the World

 

  一方、スティーヴンスンは作品が長くなりすぎて冗長になるという欠点も持ち合わせていました。ディテールを徹底的に書き込んでいくため、やむを得ない部分はあるのですが、日本語で読んでいると『クリプトノミコン』など長い長い。プロットを圧縮すれば半分くらいになりそうな物語がところどころ起伏がなくなりながら続いていくし、日本語に訳しても文章の冗長なところはやっぱり冗長だし。『The Baroque Cycle』が実はその最たる例で、文学的な虚飾・装飾を愉しめない読者にはかなりきつい作品です。私はそういう文学的な襞も好きなので全く構わないのですが。

 今回の『七人のイヴ』においてもディテールの高密度な書き込みと分量の多さは健在です。しかし、これだけ遠大な未来史が邦訳で3冊に収まりましたので、スティーヴンスンとしては抑えめ(??)といったところでしょう。また、サイバーパンク的・バロック的な基盤の上に構築されてきた過去作とは異なり、『イヴ』は正統な(??)SFとしてリーダビリティも高く把持されています。ジャンルSFの読者だけでなく、SFジャンル外の読者にも一定の訴求力を有する作品だと思います。できれば次は『The Baroque Cycle』の邦訳刊行を望みたいところですが、邦訳するとあまりにも長くなりますし、『イヴ』よりも明らかに読者を選ぶ作品なので、日本語での出版企画は難しいかもしれません。