2019SFセミナーレポートその2 朝に雨が降るかぎり 〜作家・横田順彌を語る〜
遅々として進んでおらず恐縮ですが、SFセミナーのレポート第2弾は本会企画2コマ目、「朝に雨が降るかぎり 〜作家・横田順彌を語る〜」となります。なお、私はヨコジュンのよき読者ではなく、本会後の合宿企画にも出ておりません。そのため、とりあえず本会企画の要点について雑駁にまとめてお茶を濁させていただきます。
第39回日本SF大賞・受賞作決定! - SFWJ:日本SF大賞
【訃報】さらば「ハチャハチャ」…SF作家・明治研究家の横田順彌氏逝去 - Togetter
あぁ、ヨコジュン…。横田順彌先生、逝く。 - 餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?
SF作家の横田順彌さんが1月4日、73歳で逝去されました。
— 早川書房公式 (@Hayakawashobo) January 16, 2019
「ハチャハチャSF」と称された作品のほか、古典SFの研究家としても知られ、小社のSFマガジンには2018年2月号まで「近代日本奇想小説史」を連載されていました。心よりお悔やみ申し上げます。
SF作家の横田順彌さん死去 https://t.co/xnrBSCgX1u
北原尚彦@〈SFマガジン〉6月号横田順彌さん特集監修しました (@naohikoKITAHARA) | Twitter
森下一仁 (@morishitakat) | Twitter
とりあえず、貼りつけるのはこんなもんで。
司会は北原尚彦、パネリストは森下一仁、井上雅彦、日下三蔵の各氏でした。企画紹介ではパネリストの方々が横田順彌(以下ヨコジュン)を語り尽くす・・・とのことでしたが、案の定、昔話やら内輪ネタやらきりがなくなって、ネタの一部を開陳しただけで終わってしまったようです。
パネリストの中では、森下一仁がヨコジュンとは最も年齢が近く、少し年上の兄さんとう印象だったとのこと。毎週土曜日に開かれていた「一の日会」で1970年ごろに初めて会ったそうですが、少し議論をしてはすぐ麻雀に消えていくというような流れだったそうです。昔はどこもやっていることは同じですな。
ヨコジュンのSFといえばハチャハチャSFですが、これは初期のファンジンの作品の延長だとのことです。《SFマガジン》の2代目編集長といえば森優こと南山宏ですが、当時、ヨコジュンはシリアスSF短編を《SFマガジン》にいくつか送ったものの、あまり面白くなかったのか、しばらく採用されなかったそうです。そこで、シリアスからハチャハチャSFの「宇宙ゴミ大戦争」に路線を変えて送ったところ採用されて、人気も出たので、その後のハチャハチャSFという方針が決まったとのことです。小松左京がハチャハチャをけしかけた、今日泊亜蘭から「滑稽小説を書き給え」といわれていた、という話も出ていましたが。
ヨコジュンのSF短編は古いネタだと敬遠する向きもあるかもしれませんが、初期の短編に使われているのは昭和の時事ネタで、一回り、否、二回りくらい既にしているので、現在の人にはかえって新鮮味があるかもしれないとのことです。また、ヨコジュンといえば話術=文章の巧みさも売りでした。内外のSFを紹介するコラムもやっていましたが、紹介された作品よりもヨコジュンの紹介の方が面白く、パネリストの方々も「だまされた!」と思ったことが時々あったそうです。
井上雅彦によると、ヨコジュンのショートショートには相当な量のアイデアがぶち込まれていたとのことで、井上が書こうとしたショートショートとアイデアがかぶっていたこともあったそうです。また、ハチャハチャな作品でもSF的なアイデアがちゃんと核にあるので、井上曰く「ヨコジュンはアイデアストーリーの人」なのだそうです。
小説の論理という面においては、一見無茶苦茶に見えるものでも、そこにヨコジュンなりの論理は存在しているそうです。ヨコジュンの文章もアイデアも基本はダジャレですが、そのダジャレを小説の論理でつなげていくのがヨコジュンの小説技法だとのことです。「嫌がる小説を手籠めにする快感」という物騒な言葉も出ていましたが、さもありなんですな。
とにかく、実験的なことをいっぱいやって、アイデアをつぎからつぎへとひねり出していくのがヨコジュンSFの核だったということです。その一方で、ハチャハチャSFは体力を非常に使うので、ハチャハチャSFの短編を依頼したところ「今の体力では無理」と断られたこともあったそうです。ハチャハチャの裏に結構な苦行があったということですね。
さて、ヨコジュンといえば創作だけでなく明治の古書や明治文化の研究でも知られていました。古典SFの研究から押川春浪研究にいき、そこから明治SFを研究しつつ明治の小説にいき、明治文化の研究にいきついて、いろいろ古書を集めているうちに古書の専門家のようになり、さらには古書小説を書くようになったとのことです。この遍歴の中で、膨大な資料をため込んでいったとのことです。
ヨコジュンの小説は、膨大な資料に裏打ちされた、事実とリンクしたネタの宝庫でもありました。天気や事件などは事実を織り込んでいることが多く、設定が非常に精密で、かつ事実から空想に入る切り込み方が絶妙だとのことです。
また、異形コレクションなど、テーマやタイトルなどに縛りがあるアンソロジーで、ヨコジュンがさらに独自の縛りを入れることもあり、自分なりの形式にかっちりはまっていた作家だったとのことです。小説に対してとにかく真面目で、心身を削って面白いことを次々に探しながら創作をしていたそうです。高い理想とストイック、ユーモアの裏にあった膨大な労に敬意を払わずにいられません。
改めて、謹んでご冥福をお祈りします。