otomeguの定点観測所(再開)

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2020極私的回顧その14 歴史・時代(書籍)

 文庫に続いて、歴史小説・時代小説の書籍についてのまとめです。いつものお断りですが、テキスト作成の際にamazonほか各種レビューを参照しています。

 2019極私的回顧その14 歴史・時代(書籍) - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)

2018極私的回顧その8 歴史・時代(書籍) - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)

2017年極私的回顧その8 歴史・時代(書籍) - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)

2016年極私的回顧その8 歴史・時代(書籍) - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)

 

【マイベスト5】

1、風よ あらしよ 

風よ あらしよ (集英社文芸単行本)

風よ あらしよ (集英社文芸単行本)

 

  村山由香の初めての歴史小説。650ページの大部ですが、一気読みできる傑作です。主人公は28歳で若くして他界した婦人解放活動家・伊藤野枝。彼女が心酔したアナーキズムについては賛否分かれるところでしょうが、醜い右傾化の著しい現代に彼女の視座でとらえた大杉栄を蘇らせることには歴史的・政治的意義が間違いなくあると思います。男尊女卑がまかり通り、日本が軍国主義へと突き進んだ時代に、自らの主義主張を貫いて強く奔放に生きた野枝の姿は、フェミニズムを経た現代の女性の生き方にも通じる普遍性があるでしょう。貧苦と愛憎に満ちた大杉との生活など、野枝の周辺について綿密に調査して細部まで作りこんだ村山由香の手腕に舌を巻きつつ、自由を求め戦った女性たちに敬意を表し、この作品を2020年のベストワンに推します。

 

2、じんかん 

じんかん

じんかん

 

  文庫版に続き今村翔吾がランクイン。2020年、今村翔吾は非常に充実していたように感じます。松永の三悪は松永の責ではない。ステレオタイプ松永久秀像を否定する動きは近年いくつかあったように思いますが、彼の行動理念を納得のいく形で小説化した作品は数少ないと思います。久秀が真の意味で信長の意図を理解する数少ない家臣であったからこそ信長は久秀を許したのだし、繰り返された謀反にも久秀の熟慮があったということ。重厚なテーマを扱いながら軽快な文体でページを繰らせるのは時代小説作家ゆえの筆致でしょう。

 

3、フラウの戦争論 

フラウの戦争論

フラウの戦争論

 

  当ブログでレビュー済みの作品。再掲します。

 非常に面白い良作だと思います。ナポレオンの戦争、ワーテルローの戦いまでをプロシアクラウゼヴィッツの視点で描いた作品です。表紙の妻・マリーはところどころの幕間にクラウゼヴィッツとの掛け合いという形で登場します。クラウゼヴィッツの没後、マリーは尽力して『戦争論』出版にこぎつけました。

 はじめはナポレオンが引き起こす総力戦の戦闘描写、国々による駆け引き、『戦争論』に記された軍事哲学の現実への照射などがページを繰らせます。ところが、『戦争論』の解釈を背景に会戦を展開していたはずの話が、なぜかことごとく家庭内のもめごとやクラウゼヴィッツが尻に敷かれる結びになってしまいます。クラウゼヴィッツ夫妻の魅力的な人間味が各章に絶妙なオチをつけ、江戸の人情物のごとく心温まる読後感を醸しています。なんだこりゃ。

 浅学ながら夫妻のプライベートについてはほとんど知識がなかったのですが、この作品で描かれた夫妻の姿は実に魅力的です。マリーは活発で華のある女性で、内に外に夫のプロデュース的な立ち回りを演じており、皇帝一族とも通じています。クラウゼヴィッツも静かな書斎の人ではなく、野心に駆られて猟官にいそしみながらもどこか抜けている、憎み切れない人物として描かれています。

 『戦争論』やナポレオン戦争の歴史に詳しければ重厚な歴史小説として楽しめるでしょう。しかし、西洋史に詳しくなくても、クラウゼヴィッツ夫妻の丁々発止のやりとりを時代小説的にも楽しめる作品でしょう。

 

 『フラウの戦争論』短評 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)

 

4、銀閣の人 

銀閣の人 (角川書店単行本)

銀閣の人 (角川書店単行本)

 

  室町幕府の8代将軍・足利義政が東求堂書院に自らの理想を凝縮していく物語です。義政といえば、応仁の乱を防げず幕府の弱体化と戦国時代の到来を招いてしまった将軍、というイメージがステレオタイプですし、実際、私もそう教えてしまいます。しかし、応仁の乱の後、政治や軍事ではなく文化でこの国を変えていくという、強い信念を有して義政が行動していたことを、この本は描いています。優れたプロデューサーでありアーキテクトであった義政の姿に高い熱量を感じられる作品です。

 

5、商う狼―江戸商人 杉本茂十郎 

商う狼: 江戸商人 杉本茂十郎

商う狼: 江戸商人 杉本茂十郎

  • 作者:紗耶子, 永井
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  こちらも当ブログでレビュー済みの作品なので再掲します。

 その成り上がりっぷりを妖怪に喩えられて「毛充狼」と呼ばれた、実在の江戸商人・杉本茂十郎が主人公です。生前、様々に敵を作り、ほとんど友のいなかった茂十郎について、数少ない友人だった堤弥三郎が老中・水野忠邦の命により語り始める・・・という形式で物語は進行します。

 甲斐から江戸に奉公に出て、奉公人から町年寄にまで成り上がった茂十郎。出世の階段を上るたびに泥臭く血なまぐさい闘争を重ね、その胆力や腕力を評価されつつも口さがなく罵られます。茂十郎の立身出世の物語がこの作品の縦糸ですが、もっと重要なのは、横糸として折々に挿入される、茂十郎の心の内です。妖怪と揶揄された男が抱えていた不安や緊張、恐怖だけでなく、優しさや情愛にまで踏み込んで描くことで、茂十郎が幾重もの襞を持った魅力的な人物として描かれています。

 歴史に名を残す人物が抱えた光と影。歴史には幾面もの面白さがあることを改めて示してくれる良作です。

 『商う狼: 江戸商人 杉本茂十郎』短評 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)

 

【2020年とりあえず総括】

 実存や人倫や社会は狭量ではなく差別的でもなく寛容であらねばならず、他者の多様性を認めなければならないように、歴史にもまた多様な襞があり多様な解釈があることを認め、尊重しなければなりません。歴史小説には、過去を編纂して物語化するだけでなく、歴史解釈を通じて現代の社会や政治などに対する批評を行うという役割もあります。引き続き偽史を振りかざす修正主義者やカルトが跋扈する中、歴史小説は、多様な歴史像を提示して、歪んだ認識へのレジストとならねばなりません。以前の回顧でもこのような総括をしてきましたが、2020年も引き続き同種の問題意識で歴史小説を読んでいたため、政治性の高いベスト5になりました。