2020極私的回顧その15 海外文学
極私的回顧第15弾は海外文学です。いつものお断りですが、テキスト作成の際にamazonほか各種レビューを参照しています。
2019極私的回顧その15 海外文学 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2018極私的回顧その9 海外文学 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2017年極私的回顧その9 海外文学 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2016極私的回顧その9 海外文学 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
【マイベスト5】
1、サブリナとコリーナ
当ブログでレビュー済みの作品なので再掲します。
カリ・ファハルド=アンスタインの初邦訳短編集。デビュー作にして全米図書賞最終候補、そしてニューヨークタイムズの年間ベストにも入ったというなかなかの触れ込みです。原文で既読の作品でしたが、繊細な訳文で味わいが増した印象があります。
作品にセックスや暴力的な描写がないため、幅広い層に受け入れられる素地を有しています。譬えていうならコロラド版の人情噺が並んでいるので、日本人の感性にはマッチする短編群。文学性は高いですが斜に構えた高踏ではなく地に足をつけた大衆小説のつくりなので、ページを繰る余計なエネルギーもいりません。
あとがきで作者がマンローやモリスンに喩えられていました。まだ若書きの印象もありますが、なるほど納得の襞と奥行き。作者はコロラドのチカーノ出身で、作品の題材もチカーノ。移民やマイノリティを扱った文学というのは強いメッセージを有するものですが、この短編集が有するパワーも強力です。しかし、それが直接のマニフェストやパフォーマンスではなく物語や登場人物から自然と滲み出してくるところが、恐らくはこの作者の技量及び文学性の高さを示しているのでしょう。
『サブリナとコリーナ』短評 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2、フライデー・ブラック
分断されたアメリカの負の側面に対する鬱屈したエネルギー。人種差別、性差による抑圧、権力の腐敗、大量消費と大量廃棄など、現代アメリカが抱える問題を、amazonレビューにもありましたがヒップホップのような軽快しかし鋭利な文体で切り裂いていく、狂気=凶器に対する怒りと叫びの文学。SFやファンタジーの手法を用いて現実世界と鏡写しの作品世界を構築しつつ、戦慄するほどのディストピアを描写しながらシニカルにユーモアを交えるバランス感覚もなかなかのものです。
3、洪水
作者のフィリップ・フォレストは娘の死をきっかけに「消失」というテーマで創作を行っている作家です。静謐な一人称で語られるこの作品も、都市開発に失敗して空疎な都市となったパリを洪水が襲い、甚大なカタストロフがもたらされます。しかし、作中で奏でられる音楽と人称を排し特性や固有性を消した文体が、あくまで静謐にページを繰らせる効果をもたらしています。そして、一見無常な終末の世界でありながら立ち上がり歩き出す人倫がもたらす救いと癒し。様々なレビューで語られているように、コロナ以前に書かれた物語ですがコロナの現在だからこそ意義を有する作品です。
4、砂漠が街に入りこんだ日
韓国出身の作者がフランス語で執筆したデビュー作の短編集。多和田葉子を敬愛するという、作者自身が越境のひと。作者の実存が主人公たち=コギトに照応し、動き回ります。主人公たちが移動というテーマにつながれてうつろいながら、疎外感や孤独感を抱えて世界との周波数がずれたまま短編の結末を迎えます。原語も一応チェックしましたが、詩的に俯瞰して綴られる文体はシンプルで人工的であるがゆえに匿名性を帯び、抽象的で薄暗がりな独特の世界観を演出しています。
5、彼女の体とその他の断片
当ブログでレビュー済みの作品なので再掲します。
男性視点から見た世界は常にある種の正しさに溢れて優生的に凝り固まっています。しかし、それを女性視点や弱者の視点から転倒させ、多層な解釈を受け入れれば、世界は多様で美しい正しさに溢れている。男性的なナラティヴをぶち壊すのにお勧めできる小説です。
マチャドが描く異質で襞の深い物語は、読者自身の感覚に対する試薬のようなものでしょう。日常の中で何気なく抱く違和感や疑問、それを突きつめて自分の価値観の忠実であることにこそ価値がある。自分なりの物語を解釈を真実を直視して構築する。小さな声をより合わせて雑音から大きな声へと変えていく。優生的な正しさを振りかざす男どもに対して、世界を単一化してつまらなくしている輩に対して、世界は多彩な色どりで満たされた面白いものだと教えてやる。フェミニズムの視座に立つと実に快い叫びです。
ダークでアンハッピーな短編群は容易な解釈を許しません。SF、ホラー、フェミニズムなどの多彩な手法を駆使しつつ、社会に根強い性差別をえぐり出すマチャドの糾弾と怒り。暴力的に言説を抑え込もうとする男性主義者たちに対する怒り。女性を偶像化して消費する男どもに対する怒り。その一方で、LGBTQを受容し、エロスをエロスとして正面から描き、自らもレズビアンであることを公言しているマチャドの物語には、クィアな魅力も溢れています。
一人の男性読者として、紋切り型のセクシズムをはねのけるしなやかさと強さ、マチャドの物語をしっかり受け止めるアンテナの広さを持ち続けねばならないと強く感じました。
『彼女の体とその他の断片』短評 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
【2020年とりあえず総括】
新型コロナの影響でディストピアに向けて突き進む現実世界。知性に欠ける指導者たちが愚かな振る舞いを繰り返して災厄を拡大し、あべちゃんやトランプやガースーは独裁者ですらないただの小心者であることを(分かっていたことではありますが)露呈し、民主主義ではなく独裁こそコロナ対策に有効だというとち狂った言説が舞い踊り。出来の悪いフィクションのような出来事がフラッシュバックし続ける日々の、なんと滑稽で楽しかったことか。そして、自粛警察なんちゃらに表徴されるような、似非ファシズムに喜んで迎合する人々。暴走する集団と隣り合うことは今に始まったことではありませんけど、それでいいのか、あんたら。・・・またこの辺のおちょくりは政治の項でも扱いますが。
クソみたいに反知性的な現実に対する怒りと叫び。私が文学に政治性をまぶして読むのはいつものことですが、2020年はとにかくひりつくような痛みと怒りを活字にたたきつけた1年でした。2021年はさらに痛みも怒りも増しそうで、年頭からうんざりしています。作麽生・・・。