2020極私的回顧その17 詩
極私的回顧第17弾は詩です。いつものお断りですが、テキスト作成のためamazon、《現代詩手帖》ほか各種レビューを参照しております。また、これも毎年のお断りですが、詩誌や同人をきちんと追っていないので、不完全な総括であることをご容赦ください。
2019極私的回顧その17 詩 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2018極私的回顧その11 詩 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2017年極私的回顧その11 詩 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2016極私的回顧その11 詩 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
【マイベスト5】
1、モイライの眼差し
ヨーロッパ古代・中世を参照しながら世界観ないし世界の枠組みを揺さぶる幻想詩であり形而上詩であるとともに、詩人の幼い時の戦争体験と暗い記憶が湧き立ちながら核をはじめとする(形而下の)現代の問題をも揺さぶる詩集。この深い語りを受け止め、思索することのできる読者でありたいと願った、この詩集を2020年のベストとします。
2、サークル・ゲーム
アトウッドのデビュー作はメッセージ性の強いフェミニズム的な詩、と解すればいいのでしょうか。女たちの声が叫んでいるのは、変わり映えしない社会のメタファーであり、固定化された女性の役割に対するレジストであり、作者自身も社会構造の把持に与していることへのいら立ちであり、男女の二元論にとどまらないジェンダー的広がりです。東京五輪関連で某氏の愚劣な発言がニュースになっていますが、半世紀以上前のアトウッドの告発が新鮮に映ってしまう現代日本の固定的なジェンダーのなんと滑稽なことか。
3、雨をよぶ灯台
当ブログでレビュー済みですね。再掲します。
前作『狸の匣』同様、プリミティヴな言語感覚が維持された、むき出しの感情をぶつけてくる詩集。へたなリリックや読解技法を用いず、読者は自分の琴線をあけ開いて言葉の群れを待ち受けるべき。散文詩のごとく綴られた物語は変幻していき、最後には作者も読者も界面となって消失してしまうような感。不可思議な言語が織りなす異空間、異なもの。とらえがたい本質がまた心地いいです。呪文にかかったように没入できる読書の快楽。好詩集。
『雨を呼ぶ灯台』短評 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
4、美しいからだよ
5、隔離式濃厚接触室
こちらもレビュー済みですね。すみませんが、やっぱり再掲で。
『美しいからだよ』
WEB上にはファンタジーやメルヒェンなる語をこの詩集に冠したレビューもありましたが、極私的にはもっとリアルに軸足を置いた詩集であると解するべきだと思います。ディストピアである現実に対して、詩想と現実を対置させて透き通る想像力=創造力で立ち向かう詩の群れ。身体性を備えた言語がきらびやかな鮮やかな色を帯びて、語りないし紙幅の内で乱反射しているようなイマージュ。硬質でありながらしなやかで、全体を包握するものでありながら細やかで、ここにある生を表して=顕していながら変転していて変容していて転生していて。緩急と抑揚をまとい絵画のごとく精妙に配置された語たちに誘われ、読者自身の詩的想像力が喚起される快楽。詩人の想像力と触れ合うことで日常なる頽落から、エクリチュールの軛から脱することの愉楽。物語性を帯びた詩に多彩な襞が編みこまれており、読むという行為は原初的な一個の体験であることを改めて実感できます。
『隔離的濃厚接触室』
1回に1人しかアクセスできないWEB上の孤立した展覧会で、なかなか入室できない敷居の高さが室の湿度を高めています。入室とともに訪れる圧迫感と皮膚を這うぬめりとぬるさとけだるさ。不定形?? 混濁?? 混沌?? 鑑賞者が孤独であるため鑑賞者自身の感覚が高まり、怖気を誘われ、鑑賞者自身(??)の身体やら原風景やらが脳内に溢れ、諸々の色たちをまとった言葉が鑑賞者の琴線にまとわりつきます。詩と展示とが密着した輪郭の定まらないコギト。コロナ禍である今だからこそ行われた、新機軸の芸術・言語体験である好展示です。
『美しいからだよ』&『隔離式濃厚接触室』短評 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
【2020年とりあえず総括】
音韻も意味もリズムも一体となって詩人の生が開けひらかれる。一読者として詩人の生と絡まりあう。詩人の言葉の形に新鮮な痕跡を得る。言語を切断し結節し攪乱する、詩のよき暴力性に逃げ込む機会が多かった気がします。現実に疲弊し、プリミティヴな読解で癒され、また現実に舞い戻る。私の文学や詩の読解はどうしてもオピニオンありきになってしまうのですが。現実には私もまた社会の抑圧に抗いながらも抑圧に加担する立場である中、支配的な価値観に従属するのではなく、自己の認識を中心に世界を位置づけることの大切さ。
コロナに覆われた2020年、詩を読み解くことの愉悦と幸福を改めて感じた年でした。
・・・私事ばかりですみません。