遅れに遅れている極私的回顧の進行ですが、ようやく終盤まで来ました。第26弾は海外SFについてのまとめです。作品によってはファンタジー・幻想文学など他ジャンルに配したものがあります。また、いつものお断りですが、テキスト作成のために『SFが読みたい!』およびamazonほか各種レビューを参照しております。愚にもつかないテキストを書き飛ばしている場末ブログですが、飽かずお付き合いいただければ幸いです。
2019極私的回顧その26 SF(海外) - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2018極私的回顧その18 SF(海外) - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2017年極私的回顧その18 SF(海外) - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
2016極私的回顧その18 SF(海外) - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
【マイベスト5】
1、息吹
30年のキャリアでようやく単行本2冊。驚くほど寡作でありながら、当代最高のSF作家のひとりであるテッド・チャン。時間や世界を探求する喜び、SFの元始であるセンス・オブ・ワンダー、世界や人類の変容を描く巨視的な視座、怜悧でエレガントなテクノロジーの扱い、根本問題を鮮やかに料理する手際などなど。詩的言語のごとく精緻に磨き上げられ、思弁の極致を味わうことのできる作品群。現代SFの頂点の1つがここにあります。『三体Ⅱ』とどちらを1位にするか最後まで悩みましたが、長年の渇きが癒された快楽が勝ったため、テッド・チャンを1位にしました。
2、三体Ⅱ 黒暗森林
というわけで、2位がこちら。既に当ブログでレビュー済みなので再掲します。
『三体Ⅱ 黒暗森林』短評 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
まず結論から。前巻よりスケールアップした傑作であり、本年度はおろか世界SFにおけるオール・タイム・ベストの1つ。大部の作品ですが英文と比較しても訳文が読みやすく高いリーダビリティでぐいぐいいけました。非常に面白いです。
極力ネタバレを避けるため、抽象的に褒めちぎります。すみません。
ポスト・ヒューマンを射程に入れた思弁的実在論などの現代哲学の批評に堪えうる高い完成度のスペキュレイティヴ・フィクションであり、現代中国およびアジアおよび世界の状況を鋭利にカリカチュアした政治小説であり、中国の風俗を写し取った社会的な小説であり、中国史及び世界史及び人類史を巧みに逆照射した歴史小説的な側面もあり、ミステリファンが読んでも楽しめるような巧妙な事件及びプロットの配置があり、人類社会についての経済的な問いかけをマルサスのごとく行った経済小説であり、稀有壮大な奇想とガジェットと大ぼらをこれでもかこれでもかと惜しみなく投入したワイド・スクリーン・バロックのごとくスケールの大きなSFであり・・・。とにかくこれから様々な言い方で批評されると思いますが、多種多様な側面を有する襞の深い作品です。何を言っても陳腐なコメントになりますね。読んでください。
この後、第3部は引き続き壮大でとんでもないことになるんですが、ネタバレは避けて翻訳を待ってください、というのが適切でしょう。
3、鳥の歌いまは絶え
1982年にサンリオSF文庫から刊行されたケイト・ウィルヘルムの伝説の代表作にして、ディストピア&フェミニズムSFが遂に復刊されました。うーむ、この一文だけで甘美なパワーワードがいくつも入っている。
当ブログでレビュー済みなので、こちらも再掲で。
『鳥の歌いまは絶え』短評 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)
ウィルヘルムの作品の中でも最も濃密。そう称するのが適切でしょう。ネタバレを極力避けながら進めますが、踏み外した段にはご容赦を。3本の中編が年代記的に並べられている構成で、それぞれが独立した物語です。しかし、連携している要素がいくつもあるので、タペストリーのつくりをひもといていく愉しみがあります。
物語の背景である川・谷・森などの美しい自然描写は、本書執筆当時の1976年という時代背景、核戦争や環境破壊の影を色濃く映しているのでしょう。その他に、人類滅亡の危機=ポストアポカリプス、旧人類とクローンたちの相克、クローンの子供たちのボーイ・ミーツ・ガールと性愛、自我を獲得して人類として成長していくクローンなどなど・・・。今となっては手垢のついたテーマや素材の集合ですが、各ピースがきっちりはまりかつウィルヘルムの手にかかると、普遍性を有するフェミニズムSFそしてスペキュレイティヴ・フィクションとなります。ある程度原文と対置しながら読んでみましたが、酒匂真理子の翻訳も原文の雰囲気をきちんと伝える、力あるものです。
極私的には、この物語はクローンたちのボーイ・ミーツ・ガールそして成長の物語として紐解きたいところです。コミュニティにとって自我に目覚めた少年少女は異物であり排斥の対象です。彼らは人間として戦うことで尊厳を守らなければなりません。人間として考えることをやめた大人たちの恐ろしさと空虚さは、思考停止状態にある21世紀の日本に通じているかもしれません。
世界の終末が意識され、死と滅亡が否応なく迫りくる世界において、ウィルヘルムは「限られた時間」という主題を物語全体に通底しています。現在と過去を入れ子にして複雑な語りが行われ、クローンたちの社会の衰亡が語られ、そしてあとがきにもありますが登場人物たちがオルフェウス的な想像=創造力で自然と人間およびクローン社会を並置することで人類種の破滅と再生が切々と謳われ。人類に排斥されたクローンたちが旧人類を排して新しいコミュニティを打ち立てながら、そのコミュニティでまた守旧化したクローンたちが新世代に排される。一見空虚な連環が訥々と鋭利に紡がれますが、最後に訪れるささやかながらも清々しい救い。私はこの小説をハッピーエンド、再生へ向かう物語だと解釈したいです。
繰り返しますが、やはりウィルヘルムは甘美なり。
4、ウィトゲンシュタインの愛人
アメリカ実験小説の極致という謳い文句に偽りなし。世界から人類が消えて最後の1人となった女性の物語です。最初は他者との出会いを求めていた主人公はやがて実存のあかしとして自らの記憶を記録し続けます。文学・美術・哲学などの知識が作中にどかどか散種されますが、論理学における固有名の有効性という哲学的な含意が主人公の実存のよるべとなっているため。この物語の本質は、ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を外挿した、世界や事物は自己の認識によってのみ存在しているのではないかという、実存と世界についての根本問題的な問いかけです。しかし最後まで明快な結論は出ません。一見難解な作品ですし、実際難解ですが、根底にあるのはシンプルな論理学の言説です。文学でも哲学でも詩でもなく、SFというジャンルに配置するのがふさわしい鋭角の実験小説です。
5、荒潮
未来の中国社会と科学技術を怜悧な視点で描写し、国家や人類や生物に対する巨視的なビジョンを軸に据え、複数のプロットが突っ走るポスト・サイバーパンクです。魅力的なガジェットが次々に投入され、多彩な視点変容に幻惑されるので理屈抜きでも楽しめますが、現代中国の自意識・政治意識が透けて見えるところに、SFと現代社会が地続きになっている中国SFの強さを感じます。
【とりあえず2020年総括】
SF的・文学的・科学的・哲学的・フェミニズム的に思弁性の強い作品が次々に登場し、SFを読む知的快楽を充たすことができた、久しぶりに裏コメントなしで豊作と呼べる1年でした。傑作が多かったと思いますが、上位5作は特に思弁のレベルが高く、マイベストは割とすんなり決まりました。英米や中国だけでなく海外SF紹介の多様性が増していて、イスラエル、イラクなどのSFから独特の価値観・文学観を得られたことも2020年の収穫でした。極私的には最も知的快楽に優れた文学・文芸ジャンルこそSFです。2021年もこの昂揚が続いてほしいのですが、どうなることか。