佐藤賢一『日蓮』短評
久しぶりの更新ですね。今回のレビューは今年の2月に発売された、佐藤賢一の歴史小説『日蓮』です。本当にたびたび更新をさぼりがちの場末ブログですが、飽かずお付き合いいただければ幸いです。
『ナポレオン』『オクシタニア』『カルチェ・ラタン』など佐藤賢一といえばヨーロッパの歴史小説という印象が強いですが、最新刊は鎌倉仏教最大・最強の「キャラクター」、日蓮を描いた作品となりました。
鼻っ柱が強く、跳ねっかえりの剣豪・日蓮。何を言っとるんだと思われるかもしれませんが、日蓮VS他宗派の論争をチャンバラに見立てて、日蓮の切っては捨て・切っては捨ての八面六臂(七転八倒??)ぶりを味わうのが、恐らくエンタテイメントとしては最も正しい楽しみ方でしょう。特に、物語終盤の、数百人と対峙する「塚原問答」の場面では、バーリ・トゥードかくやという壮絶な殴り合いが展開されます。結局、折れない意思と強靭なスタミナこそが日蓮最大の武器だったんですね。
念仏を唱えれば地獄に落ちる。禅宗は国を亡ぼす。密教の教えは災厄をもたらす。徹底的に他宗派を攻撃する日蓮。若く思い上がったそのキャラクターには鼻につくところも多々あります。しかし、激しい論争の中で、彼が唱える法華経の重要性が浮かび上がってきます。その本質は極めてシンプルで、現世の人々を現世において救済することです。末法の世に生きる人々の救済を極楽浄土なる来世に投げ捨てた念仏宗や、救済の道を捨てて不毛な内的到達への道を説くのみの禅宗、権力におもねり民衆に目を向けない密教などとは異なり、日蓮は徹底して現世に生きる人々をこの世で救うための道に邁進します。そして、仏教の中で排されてきた女性にも成仏と救済の道を示し、ジェンダー的な先進性も示しています。