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呉明益『複眼人』短評

 今回のレビューは先月発売の呉明益『複眼人』です。

  

複眼人

複眼人

  • 作者:呉 明益
  • 発売日: 2021/04/05
  • メディア: 単行本
 

  呉明益。『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』などの著作が刊行されていますが、極私的には台湾・中国の風土を背景にしてマジック・リアリズム風の啓示的な作品を書く作者という印象がありました。今回、時間的・空間的なスケールが大きく拡大し、全地球的な世界と地球史・生命史そのものを題材とした、神話的な作品を書き上げたという印象があります。

 夫と息子が疾走し、失意の底にある台湾人女性の元大学教師・アリス。南太平洋のワヨワヨ島から追い出され、さまよっていた少年アトレ。迷い傷ついた二人の出会いから徐々に人々の輪が広がり、台湾の現代や先住民の歴史、果ては地球環境をも視座に入れたスケールの大きな物語に拡大します。複眼人という神話的な山人がアバターとして、地球自然そのものを象徴するとともに、物語を切り回しています。

 文明の汚染を受けていないイノセントな器であるアトレは、文字のない社会の出身であり、アリスが少年にかつてあった台湾の美しい風土を教えるくだりは回顧的であり牧歌的です。対して、鳥や自然物と会話して意思を通じ合うアトレはアリスそして読者を地球自然へと媒介する架橋であり、魔術的・神話的な地球自然描写と、海を漂流するごみの島に象徴されるような現実の環境破壊の描写が、対となって進行していきます。

 壮大なスケールのSF・幻想文学としてのビジョンの美しさ、現代文学としての鋭利なメッセージ性においては、強く光を放つ作品でしょう。

 問題は小説の完成度が高くないこと。登場人物の書き分けや性格描写ははっきり言って曖昧ですし、プロットも混乱しています。エコロジー的な視座は昨今のサイエンスを正しく踏まえていないイノセントに過ぎるものですし、ワヨワヨ島の描写も二昔前の人類学を彷彿とさせる牧歌的なものにとどまっています。

 メッセージとしての威力はあるものの、構成に難あり。そんな評価が妥当な作品でしょう。