otomeguの定点観測所(再開)

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トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』感想

 またもや更新の間が空いてしまいました。もはや訪れる方のほとんどない場末ブログですが、見捨てずお付き合いいただければ幸いです。今回の更新は、先月末に発売されたトマス・ピンチョンの最新邦訳『ブリーディング・エッジ』(以下『BE』)の感想になります。

 

 

  アメリカおよびアメリカを中心として進行する世界のシステム的変容を、膨大な知識とガジェットを詰め込みながら小説という形式で語り倒す。膨大で莫大で壮大なこのピンチョン節は、今回ももちろん健在でした。

 『LAヴァイス』で描かれた1960年代の古き良きアメリカ・カリフォルニアから、9・11が発生した21世紀のニューヨークに舞台は移り、ミレニアムのニューヨーカーのポップな文体を語り口に物語は進行します。作中にばらまかれた音楽・ゲーム・映画・アニメなど、趣味的小道具のセンスの良さも相変わらずなので、過去作に比べるとすんなり読者は世界に入っていけるでしょう。しかし、軽やかに読者を導入していながらも、肥大化した資本主義の巨悪と尽きせぬ欲望にまみれたその担い手どもを糾弾しつつ、社会的弱者や失われていく古き良き世界に対する思慕の念がそっと奏でられています。技術文明の抑圧に抗する人間を描き、そして抑圧からの生の解放を目指すという、ピンチョンのメインテーマ=フレームはいささかも揺らいでいません。

 ならず者の共和党・ブッシュが過剰な愛国心を煽り、メディアからもネットからも昂揚した暗澹たる言説がまき散らされる異常な状況下にあっても、登場人物たちが陰謀論を茶化し、体制を糾弾する、ピンチョンの政治的な思考は真っ当であり穏当です。赤狩り以降、共和党の圧政者たちが夢想し、実行しようとしてきた大規模な社会的コントロールは、インターネットが発展した『BE』の世界において、『逆光』『V』『ヴァインランド』などより強烈に切実に語られている印象です。ドナルド・トランプという道化を経験した我々にとってはさらに切実で深刻な問題でしょう。

 今さら言うまでもなく、ピンチョンといえば1984年の「ラッダイト」宣言以降、文学的「ラッダイト」を戦略的に嗜好=志向してきた作家であり、数々の挑発的な問題作で読者をぶん殴ってきました。『BE』においてもピンチョンの「ラッダイト」は生き生きと駆動しています。主人公はアウトサイダーだし、社会の巨悪によって登場人物が次々に殺されていくし、短いエピソードが積み重なってコンデンス・ノベル化しているし、登場人物はどんどん増えていくし。若書きのころのピンチョンであればこれが文学的カオスとして読者に襲来するところですが、老練なエンターテイナーとなったピンチョンはきちんと整理して料理して読者に供してくれています。

 SF的な視座から見れば、プログラム化されコード化された物象のアメリカやニューヨークは、二昔前のサイバーパンクを読んでいるような印象もあります。20年前のインターネット草創期(??)の技術的・ゲーム的な描写は、ある種の郷愁さえ感じさせますが、ピンチョンが追求してきた文明論的な主題や、相変わらず背後にちらつく陰謀論的なパラノイアを、より際立たせる効果を有している印象です。また、金融と政治がデジタル化して不正と巨悪がやたら膨れ上がり、ウィキペディアやらウィキリークスやら陰謀的・機密的な言説が乱れ飛ぶ、サイバースペース華やかなりし21世紀現在の具体と時事は、ピンチョンが叫ぶ対抗文学=対抗文化と相性がいいようです。

 麗しきポストモダン文学の夢よ再び。我々は飼いならされ訓練された読者として、徹底的に糊塗されたピンチョンの様式美の中で恍惚と動き回りましょう!