井村君江ZOOM講義「おぼえておいて欲しいこと」【NLQオンラインセッション#11】講義ファイル3「コティングリー妖精事件とその周辺 その1」レポート
6月19日夜、ナイトランドクォータリー主催の井村君江先生による講義が行われていました。妖精の女王による「コティングリー」の講義とくれば、傾聴しないわけにはまいりません。仕事を何とか早上がりして、僭越ながら私もごく一部ですがディスカッションに加わりました。乱雑ではありますが、以下、まとめてみます。
Cottingley Fairies - Wikipedia
アトリエサード【公式】さん (@athird_official) / Twitter
岩田恵@アトリエサードさん (@mahamayuri) / Twitter
岡和田晃_新刊「NLQ25 病疾に蠢く死の舞踏」が出ましたさん (@orionaveugle) / Twitter
なんぼでも貼れますが、とりあえずこんなところで。以下、井村先生の講義の内容を中心に、ディスカッションで出た他の方々の議論も併せつつ、私なりに整理していきます。
いうまでもなく、妖精写真をビリーバー的に論じるのはナンセンスです。もちろん本日の参加者の皆さんはビリーバーではありません。うつのみや妖精ミュージアムには妖精写真の元ネタとなったギフトブックが常設展示されています。スピリチュアリズムとは切り離し、文化史・精神史ないし表象として「コティングリー」をとらえ、分析するのが妖精研究の本筋でしょう。
上に書影をあげましたが、このところコティングリー関連の井村先生の書籍が次々に出ています。アトリエサードから出たコナン・ドイルの著作は井村先生による改訳です。詳しくは読んでいただきたいのでネタバレは避けますが、「バスカヴィル」に代表されるようにシャーロック・ホームズの作者としてオカルト的なものを否定する探偵を描いていたドイルが、そこから一転して妖精の実在を心霊主義側から記した著作です。井村先生によると、ドイルが「コティングリー」を直接取材したのではなく、エドワード・ガードナーによる「コティングリー」の調査を聞き書きして著作化したものだそうです。ビリーバー的な訳ではなく井村先生によるジャーナリスティックな訳なので、日本語の記述としては客観性が増しています。ドイルが妄信していたというよりは、心霊主義の否定・肯定についてドイルが上手く書き分けをしていた、という演出面(??)の要素を読み取ることもできるとの議論もありましたが、極私的には後期ドイルのオカルティズムへの傾倒を面白おかしく(??)読解したいところです。
Edward L. Gardner - Theosophy Wiki
第1次世界大戦が終了した当時のヨーロッパでは、神智学などのオカルティズムは広く行われていた知的営為ですから、オカルティズムに膾炙したドイルが知性に欠けていたわけではありません。現在の科学的視座に立つと当時のオカルト的な思考には異を唱えたくなる向きが多いでしょうが、21世紀の我々が科学的視座からドイルを批判したり嘲笑したりするのは不公平でありナンセンスでしょう。とはいえ、やはり1920年代当時も科学的視座からドイルを批判する人物はいて、例えば「コティングリー」の影響でジェイムズ・バリーと仲が悪くなってしまった、なんて話も出ていました。
最初の妖精写真が撮られたのが1917年でした。そこから節目の100年である2017年、妖精写真展が全国を巡回して開催されていましたが、その話も出ていました。当時、私も恵比寿映像祭における展示を観に行きました。上に書影をあげた、青弓社から来週刊行予定の著作は、もともとこの展示の図録として企画されていたものだそうです。そこから企画がいろいろ転じて今年までずれてしまったそうですが、結果としてタイムリーな刊行になったようです。学術的に価値の高い著作だそうなので、読むのが楽しみですね。
コティングリー妖精写真|第10回恵比寿映像祭(2018) (yebizo.com)
その後、コティングリーを調査のため再訪したガードナーが少女たちにリトライで何回か写真を撮らせたそうですが、その最後が1921年で、今年2021年はちょうどそこから100年です。今年も妖精学的には節目に当たる年です。現在のコティングリーはケルトの遺跡の森からすっかり新興住宅地に様変わりしているそうですが、妖精写真関連の現場は異界的な雰囲気を纏って変わらず残っているそうです。
後年、少女たちは妖精写真がフェイクであったことを告白しましたが、コナン・ドイルへの配慮もあって、フェイクであることを長いこと黙っていたのではないかということです。66年間にも渡るこの長いフェイクは世界最長のフェイクとしてギネスブックに載っていたかもしれないそうですが、きちんと確認はできていないそうです。この告白の直後、少女たちは亡くなりました。様々な意味において「コティングリー」は彼女たちにとって切実な出来事だったようです。
彼女たちの告白を映画化したのがこちらです。昔、私も観ているはずなんですが、あまり内容を覚えておらず、映画に関わる議論には参加できませんでした。ドキュメント的な作品ではなく、フーディニらが登場し、妖精の生きた姿なども描かれる、ファンタジー色の強い作品だそうです。
『フェアリーテイル』(1997)イギリスで実際に起こった妖精騒動、コティングリー事件を扱った作品。: 良い映画を褒める会。 (webry.info)
コティングリー妖精事件:『フェアリーテイル』『妖精写真』 (xii.jp)
FairyTale: A True Story - Wikipedia
イギリスで妖精の話をすると、象徴的な出来事として「コティングリー」は必ず取り上げられるそうです。「コティングリー」を含む様々な妖精譚について、小さな子供が「妖精を見た」と妖精世界に入り込むことを大人が非科学的だと切り捨てるかのように、真っ向から全否定してしまうのではなく、物語世界を文化として許容する襞を持つことが大切でしょう。日本でも妖怪や神秘なるものが文化として成立していて現在でも影響力を有しているように、「コティングリー」を20世紀の西欧の精神史の中に位置づけてその影響について考えることにはやはり学術的な意義があると思います。
例えば、「コティングリー」について、写真史・女性史・技術史など様々な流れの結節であるととらえることもできるでしょう。「コティングリー」の近傍でジョイス『ユリシーズ』やエリオット『荒地』が出ていたことを考えると、当時、「コティングリー」を含む文化的・文学的に大きなうねりがあったという見方ができます。
あるいは、写真の技術という点から見ると、お金のある家で子供でもカメラを使えるようになってきた時代に子供が撮った作品ということだそうで、初期の写真作品として妖精写真を分析するのも面白そうです。
妖精が言葉や表象として日本で明治以来いかに受容されてきたか、現在の日本でゲームやアニメなどを含め表象としていかに受容されているかという点についても議論がありました。以前のレポートでも書いた気がしますが、井村先生によるとfairyという言葉はもともと「妖精」ではなく中国由来のイメージで「仙女」などと訳されていたそうです。また、上田敏は、fairyという語は日本語には訳しきれないイメージを有していると言っていたそうです。
アニメにおける妖精の例として、チャットではダンバインの妖精があげられていましたが、 ダンバインが出てくるあたり、参加者の年代を反映している気がしますね・・・。
妖精の最新の受容として、『FGO』Cosmos_in_the_Lostbelt 第6シナリオ「妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ 星の生まれる刻」も取り上げられ、ここは私も一部議論に加わりました。まさか井村先生の前で『FGO』の話をすることになるとは思いませんでしたが、アーサー王と妖精が結び付けられた、〈Fate〉シリーズ史上屈指の面白いシナリオが絶賛展開中なので、やはりこれはお伝えしておかないといけませんね。極私的には、ファンタジーファンや怪奇幻想の徒や元アナログゲーマーとして、何でもかんでも美少女化し、アーサー王伝説や妖精譚をアイコンとして用いる、記号的ファンタジーに対するマイナス感情は当然あります。今回の議論では確か触れていないはずですが、ブラヴァツキーすらサーバントになっているご時世ですから。神智学関連でネタにしても面白かったかな。
しかし、当ブログで何度も書いているように、ラノベ中毒者や美少女ゲーマーやデジタルゲーマーとしては、例え記号の順列組み合わせであろうと、傑作は傑作ですし面白いものは面白いのです。
妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ (ようせいえんたくりょういきあゔぁろんるふぇ)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)
ちなみに、議論で出ていた、老婆の妖精が美少女化されたというのはこちらです。
そのほかにもいろいろネタが飛び交い、話は尽きないまま、あっという間に時間が過ぎていきました。非常に充実して楽しい時間でした。今回の講義の続きも含めて今後もまだまだ「コティングリー」関連の書籍やイベントなどは企画されているそうです。しかし、来月はことごとく仕事にかぶりそうだなあ・・・。