otomeguの定点観測所(再開)

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山尾悠子『角砂糖の日』感想

 2016年の再販で入手し損ねていた山尾悠子の伝説の短歌、今回の再版でようやく入手できました。私事ですがこれで蔵書における山尾悠子はコンプリートのはずです。私には短歌や俳句を評するための韻文の教養はありませんので、あくまで幻想文学や詩のサイドからの感想になるのでご容赦ください。 

 

  

 

 

 

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 山尾悠子は小説家としての活動の傍ら、若い頃から短歌を作ってきました。深夜叢書社の斎藤慎爾から誘われて刊行されたのがこの『角砂糖の日』。短歌・俳句の世界では知られた仕掛人であった斎藤慎爾に目を付けられた短歌群ということになります。

 山尾悠子の短歌から立ち昇る、言葉によって固定化される以前の、存在のフィギュール。世界とは言葉であり、言葉とは世界であり、差異とは言葉であり、言葉とは差異であり。言葉により生産される差異と、言葉によるあらゆる束縛から自由でありたいという願い、その両端を行き来する往還運動。

 塚本邦雄、春日井健、葛原妙子、山中智恵子らの影響を受けたと山尾悠子自身は書いていますが、恐らくは同人や結社の影響を受けなかったために到達し得た、独自の世界と完成度。曖昧な言葉が排されマニエリスム的に配置された幾何学的でクリアな語群。語が入れ子的につながり暗示しあい、相互に侵食して形成される多義的な世界。現実の彼方にある幻想が湧出し、読み手の心が豊饒なイマージュに閉じ込められる。若き山尾悠子のみなぎる言葉を我々の魂と共振させる。

 「世界は言葉でできている」。山尾悠子とはこの一言に凝縮される作家ですが、彼女の短歌もまた詩や小説と同様に言葉そのものが幻想の薫気を帯びています。しかし、研ぎ磨かれた短歌の語たちは一つ一つが重たく煌めき濃密で澄んでいて、詩や小説よりも凝縮され魅力が増しています。

 と、ここまで書いておいて恐縮ですが、結局やはり、山尾悠子を読むときには余計な意味を付与せずに、脳に浸透する幻想の薫気を堪能できれば、それでいいのです。