毎度毎度の遅ればせで恐縮ですが、先日、21日夜に行われた井村君江先生のZOOM講義について、レポートをあげたいと思います。私はSF大会参加中に香川から視聴しました。ただし、今回は私の専門外であったうえ、高度な議論についていけない場面も多々あり、浅学な私の内容理解は不十分です。そのため、かいつまんで理解できた部分だけをまとめておきます。SF大会のレポートはもう少しお待ちください。
岩田恵@アトリエサードさん (@mahamayuri) / Twitter
岡和田晃_新刊『サンワード』が出ますよさん (@orionaveugle) / Twitter
サロメの挿絵を描いたのが25歳で夭折した画家・ビアズリーですが、彼はもともと音楽を志し、声楽家を目指していたとのことです。母や姉の愛を一身に受けて育ったそうで、家族環境と愛情には恵まれていたとのこと。ワイルドとビアズリーの出会いは1891年夏、バーン・ジョーンズの家でワイルド夫妻を紹介されたのだそうです。ビアズリーは初め、ワイルドに深い憧憬の念を抱きました。
ビアズリーは父親から肺病・結核を受け継いでおり、そもそも病弱でした。19世紀末の退廃的な空気よろしく、デカダンでグロテスクでエロティック。また、浮世絵の収集も行っていたそうで、時代性でもあるジャポニズムの影響ももちろん受けています。
サロメはワイルドがフランス語で1891年に執筆した作品で、ヘブライ語のShalome(平和)をもとにした名前です。なぜフランス語で執筆したのか。ワイルドは母国・イギリスではなくフランスへの憧憬があったようで、やはりナショナリズムとは縁遠い人なのでしょう。メーテルリンクの活躍を羨ましく思い、ワイルドもフランスで活躍したいという思いがあったそうですが。ワイルドはフランス語のサロメをアンドレ・ジッドには見せましたが、ピエール・ルイスには見せることができなかったそうです。
ワイルドがサロメに込めた念はpassionだそうです。passionには①情熱②受難と2つの意味がありますが、ワイルドはサロメに両方の意味を込めたとのことです。サロメの出本はもちろん聖書「マタイ伝」14章・「マルコ伝」6章ということになるわけですが、ワイルドはアナクロ的に聖書に依拠するのではなく、独自の解釈を施しました。
ビアズリーの挿絵も高い評価を受け、マックス・ビアボームからは「挿絵が本文になっている劇だ」と称賛されます。むしろ美しい挿絵がワイルドのテキストを食っているかの印象。
サロメの影響でワイルドは再び名声を得ますが、「僕がビアズリーを作った」と吹聴したことから、ビアズリーの反感を買います。「自分はワイルドに作られたのではない」とワイルドのグループから離れたビアズリー。ほどなくしてワイルドもビアズリーも亡くなりますが、梅毒に冒されて孤独のうちに亡くなったワイルドと、家族の愛情を最後まで受けていたビアズリーは、ずいぶん対照的です。
ビアズリーは、その後、ホイッスラー、モリス、ロートレックなどを吸収しながら、ドイツでワーグナーのタンホイザをもとに「ヴィーナスとタンホイザ」の挿絵を描きます。母国・イギリスを遠ざけているのは、ヴィクトリア朝の諸々の束縛を嫌ったためだとのことです。また、井村先生からは、騎士道(ナイトフッド)すなわち武士道ではない。騎士道と武士道は非常に異質なものであり、アーサー王伝説ではテニソンなどによる脚色が入っているというご指摘もありました。
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー - Wikipedia
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック - Wikipedia
と、井村先生の講義を大まかにまとめるとこんなところだったと思います。その後、濱野成生さんと井村先生を中心にハイレベルなディスカッションになったのですが、私の専門外ということもあり、ひたすら耳を傾けているのがやっとでした。
私に理解できた範囲をまとめておくと、ワイルドがアメリカに滞在していたころ、ヨーロッパから現在のユダヤ人とは違うオーソドックスなユダヤ人がたくさん移民しており、キリスト教以前のユダヤ主義的な教えに基づく、当時のアメリカ独自のシオニズムが醸成されており、ワイルドもその近くにいたとのことです。また、同時期にアメリカで社会主義運動も盛り上がっていました。果たしてワイルドにどこまでそれらの影響が見いだせるのか。井村先生はワイルドのテクストに政治性を付与した解釈をすることに否定的でしたし、濱野先生ももちろん恣意的にワイルドに政治性を見出しているわけではありませんが。
また、ワイルドの原点はギリシャ詩および悲劇であり、ギリシャ悲劇的な演出がサロメにも顕れているそうです。しかし、ワイルドのテクストをギリシャ古典まで掘り下げて読み込む研究はまだだれもやっていないそうで、今後の課題になるそうです。
ビアズリーについては、ラファエル前派の影響、ルネッサンス的な規範からの逸脱、アール・ヌーヴォーとの関係、19世紀印象派からの脱皮、フロイト心理学的な解釈、澁澤龍彦による言及、スウィンバーンとの比較など、やはり多彩な視点が出ていました。しかし、私には図像学的な解釈・議論をテキスト化する力がないので、すみませんがキーワードの羅列にとどめます。
と、大体こんなところですね。私に理解できなかった重要な論点がまだまだ飛び交っていたはずですが、受け止める知的体力がなかったため、ここまでになりました。
今後についてですが、サロメについては、まだ関連の出版があるかもしれないので、情報を待ちたいと思います。次回のZOOMセッションは9月の第3土曜になりますが、仕事と重なりそうだなあ・・・。