otomeguの定点観測所(再開)

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2021極私的回顧その15 海外文学

 極私的回顧第15弾は海外文学です。いつものお断りですが、テキスト作成の際にamazonほか各種レビューを参照しています。

2020極私的回顧その15 海外文学 - otomeguの定点観測所(再開) (hateblo.jp)

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【マイベスト5】

1、ブリーディング・エッジ

 当ブログでレビュー済みの作品なので、再掲します。

 アメリカを中心として進行する世界のシステム的変容を、膨大な知識とガジェットを詰め込みながら小説という形式で語り倒す。膨大で莫大で壮大なこのピンチョン節は、今回ももちろん健在でした。

 『LAヴァイス』で描かれた1960年代の古き良きアメリカ・カリフォルニアから、9・11が発生した21世紀のニューヨークに舞台は移り、ミレニアムのニューヨーカーのポップな文体を語り口に物語は進行します。作中にばらまかれた音楽・ゲーム・映画・アニメなど、趣味的小道具のセンスの良さも相変わらずなので、過去作に比べるとすんなり読者は世界に入っていけるでしょう。しかし、軽やかに読者を導入していながらも、肥大化した資本主義の巨悪と尽きせぬ欲望にまみれたその担い手どもを糾弾しつつ、社会的弱者や失われていく古き良き世界に対する思慕の念がそっと奏でられています。技術文明の抑圧に抗する人間を描き、そして抑圧からの生の解放を目指すという、ピンチョンのメインテーマ=フレームはいささかも揺らいでいません。

 ならず者の共和党・ブッシュが過剰な愛国心を煽り、メディアからもネットからも昂揚した暗澹たる言説がまき散らされる異常な状況下にあっても、登場人物たちが陰謀論を茶化し、体制を糾弾する、ピンチョンの政治的な思考は真っ当であり穏当です。赤狩り以降、共和党の圧政者たちが夢想し、実行しようとしてきた大規模な社会的コントロールは、インターネットが発展した『BE』の世界において、『逆光』『V』『ヴァインランド』などより強烈に切実に語られている印象です。ドナルド・トランプという道化を経験した我々にとってはさらに切実で深刻な問題でしょう。

 今さら言うまでもなく、ピンチョンといえば1984年の「ラッダイト」宣言以降、文学的「ラッダイト」を戦略的に嗜好=志向してきた作家であり、数々の挑発的な問題作で読者をぶん殴ってきました。『BE』においてもピンチョンの「ラッダイト」は生き生きと駆動しています。主人公はアウトサイダーだし、社会の巨悪によって登場人物が次々に殺されていくし、短いエピソードが積み重なってコンデンス・ノベル化しているし、登場人物はどんどん増えていくし。若書きのころのピンチョンであればこれが文学的カオスとして読者に襲来するところですが、老練なエンターテイナーとなったピンチョンはきちんと整理して料理して読者に供してくれています。

 SF的な視座から見れば、プログラム化されコード化された物象のアメリカやニューヨークは、二昔前のサイバーパンクを読んでいるような印象もあります。20年前のインターネット草創期(??)の技術的・ゲーム的な描写は、ある種の郷愁さえ感じさせますが、ピンチョンが追求してきた文明論的な主題や、相変わらず背後にちらつく陰謀論的なパラノイアを、より際立たせる効果を有している印象です。また、金融と政治がデジタル化して不正と巨悪がやたら膨れ上がり、ウィキペディアやらウィキリークスやら陰謀的・機密的な言説が乱れ飛ぶ、サイバースペース華やかなりし21世紀現在の具体と時事は、ピンチョンが叫ぶ対抗文学=対抗文化と相性がいいようです。

 麗しきポストモダン文学の夢よ再び。我々は飼いならされ訓練された読者として、徹底的に糊塗されたピンチョンの様式美の中で恍惚と動き回りましょう! 

 

トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』感想 - otomeguの定点観測所(再開)

 

2、蛇の言葉を話した男

 本来、ファンタジー幻想文学の圏域に入る作品ですが、あえてここで評価します。語り手は、エストニアに古くから伝わる「蛇の言葉」を解する男。「蛇の言葉」は古代の文化のイコンであり、主人公は古代の言葉・文化の存続をかけてキリスト教的な近代文化に戦いを挑みます。壮絶な戦いの果てに飲み込まれていく古代文化の行く末を壮絶に描き切っていて、全編にわたり凄味に満ちた作品です。登場人物やエピソードも食わせ物ぞろいで、満腹感に浸ることのできる作品です。

 

3、ヴァイゼル・ダヴィデク

 戦後ポーランドに発生した、社会主義と宗教が共存した独特の政治体制。ある夏、突然現れ、そして夏の終わりに失踪した、不可思議な少年ヴァイゼルに出会った少年たちの、ひと夏の目撃譚です。学校現場においても社会主義と宗教という2つのレジームが併存する中にあって、しかし、ヴァイゼルの見せる超自然的な(??)振る舞いが、彼の振るう権力を宗教やイデオロギーよりも高みへと布置しています。かつて少年であった者たちの目撃証言は、少年時代と大人になった現在とを行ったり来たりするため、信用なりません。少年時代の不確かな記憶が大人の理性によって糊塗され美化され、彼らの記憶の中のヴァイゼル像が歪められつつも守られているのは、「スタンド・バイ・ミー」的な郷愁にすがろうとする大人のエゴのようにも見えます。最後にヴァイゼル失踪についてほろ苦い真相が明かされますが、それもまた信用しがたいもの。宙吊りのような読後感ですが、それがまた心地よい、傑作です。

 

4、小さきものたちのオーケストラ

 デビュー作『ぼくらが漁師だったころ』がブッカー賞候補作となり、注目された、アフリカ文学のニューフェイス、チゴズィエ・オビオマの第2作。主人公・チノンソに憑りついた守り神、ナイジェリアのイボ神話を基にした存在が語り手です。ストーリーラインは粗いながらも、土着の語りと西欧の小説を融合させた独特の形式が、イボ神話の世界観との絶妙なギャップをなしており、読者を牽引する力になっています。近代世界と神話の世界、文明と周縁の折衷を試みつつ、キリスト教への痛烈な皮肉を打ちつける、アフリカのアイデンティティが強くにじみ出てくる作品です。

 

5、ニルス・リューネ

 デンマークの詩人、イェンス・ピータ・ヤコブセンの小説です。旧訳は未読なので、今回の新訳のみについてのレビューです。夢想的な詩世界に耽溺する母から生まれた少年が、宗教や諦念の軛を脱して世界をありのままに謳おうとしつつも、夢破れて死んでいく物語です。ストーリーラインは平板ですが、小説というよりも散文詩として解し、言語から馨るビジョンを味わうべき作品です。私には原文を解する力がないので、原文との比較はできませんが、訳語の美しさが実に秀逸。形象的なリアリズムと小宇宙的(=内的)なビジョンの両立と探求に、詩人も訳者もいかに腐心したかがよく分かります。

 

【とりあえず2021年総括】

 幻想文学的な作品が並びましたが、文学性を重視してあえてこの項に入れた作品たちです。今回は、ブログ更新の遅れのために、図らずも、この記事を書いた時期がプーチンの蛮行と重なることになりました。私は海外文学を読む際に政治的なフィルターをかけており、愚かな圧政に対して民衆や周縁の声を発し続けなければならない、といつも書いていますが、今この時、文学の役割の重大さ、世界市民の強い連帯の必要性を痛感することになりました。

 プーチン、否、プー沈に対するコメントは国外政治の項でまたまとめますが、一人の世界市民として、蛮行に対してレジストの声をあげ続けなければなりませんね。