otomeguの定点観測所(再開)

文芸評論・表象文化論・現代思想・クィア文化・社会科・国語表現・科学コミュニケーション・初等数理・スポーツ観戦・お酒・料理【性的に過激な記事あり】

2021極私的回顧その30 幻想文学

 極私的回顧第30弾は幻想文学です。毎年同じことを書いていますが、SF・ファンタジー作品の中でも幻想性・文学性が髙いと思ったもの、および文学・文藝作品で幻想性が髙いと判断したものを配しています。作品数が少ないので、内外の作品を取り混ぜて扱っております。また、いつものお断りですが、テキスト作成のために『SFが読みたい』およびamazonほか各種レビューを参照しております。

2020極私的回顧その30 幻想文学 - otomeguの定点観測所(再開)

2019極私的回顧その30 幻想文学 - otomeguの定点観測所(再開)

2018極私的回顧その22 幻想文学 - otomeguの定点観測所(再開)

2017年極私的回顧その22 幻想文学 - otomeguの定点観測所(再開)

2016極私的回顧その22 幻想文学 - otomeguの定点観測所(再開)

 

 

【マイベスト5】

1、妖精が現れる! 〜コティングリー事件から現代の妖精物語へ (ナイトランド・クォータリー増刊)

 ファンタジーファン・怪奇幻想の徒として、2021年に極私的に最もホットだったのは、コティングリー界隈の盛り上がり、そして井村君江さんの講義を拝聴したことです。当ブログで繰り返しレポートをあげましたが、いまだ矍鑠とした妖精の女王の存在感、そして知的刺激にはとてつもないものがありました。今年の講義再開を心待ちにしております。仕事のやりくりをしないと・・・。

 当ブログでレビュー済みなので、再掲します。そして、コティングリー関連の当ブログのテキストへのリンクも貼っておきます。

 ファンタジーファン及び怪奇幻想の徒としては、タニス・リー、パトリシア・A・マキリップ、ジェフリー・フォード、石上茉莉、高原英理と名前が並んだ時点で問答無用で買いです。極私的にお勧めの短編は2篇です。まずタニス・リー「エルフの眷属」。タニスにしては珍しいロー・ファンタジーでシンプルな妖精譚です。ある登場人物の語りに古英語・中英語の色を付けるなど、彼女らしく細部への繊細なこだわりのある美しい短編です。もう1つはマキリップ「ウンディーネ」。ラファエル前派に着想を得た作品とのことで、小品ですが水の精が躍る麻薬的で濃密な一枚絵となっています。できれば岡和田晃が紹介していたデリア・シャーマンやアリソン・リトルウッドの作品も読んでみたかったところですが、残念ながら未収録なので原書をあたろうと思います。

 コティングリー関連の資料としては、上記リンクの井村君江の講義内容の再確認にもなりますが、リーズ大学のブラザートン・コレクションを調査したときの記録が複数収録されています。子供の遊びの上に大人の事情が幾重にも絡んだ結果、大人たちの思惑と少女たちのリアルでピュアな心情の齟齬が生じてしまったことが、実にもどかしく思えます。少女たちは大事にせず、あくまで子供のいたずらにとどめてほしかったはず。やはり妖精は子供たちにしか見えない無垢な表象であるべきなのです。

 また、エドワード・L・ガードナー「妖精の写真―コティングリーでの撮影」は、1920年代当時の妖精写真を巡る比熱と心霊主義の昂揚が感じられるテキストです。21世紀現在の科学的視点からガードナーを断じることは簡単です。しかし、心霊と科学とは相克するものではなく、オカルト的にはコティングリーに異界はあり・妖精は確かにいます。 この事実を踏まえたうえで、コティングリーを20世紀の精神史の中にしっかり位置づけ、評価すべきなのでしょう。

 文芸・資料・論考それぞれ興味深いテキストが並んだ、濃密でバラエティに富んだ1冊です。今のところ極私的には《NLQ》ではこの増刊がベストだと思います。

『妖精が現れる! 〜コティングリー事件から現代の妖精物語へ (ナイトランド・クォータリー増刊)』感想 - otomeguの定点観測所(再開)

井村君江ZOOM講義「おぼえておいて欲しいこと」【NLQオンラインセッション#12】講義ファイル4「コティングリー妖精事件とその周辺 その2」レポート - otomeguの定点観測所(再開)

『コティングリー妖精事件 イギリス妖精写真の新事実』 - otomeguの定点観測所(再開)

井村君江ZOOM講義「おぼえておいて欲しいこと」【NLQオンラインセッション#11】講義ファイル3「コティングリー妖精事件とその周辺 その1」レポート - otomeguの定点観測所(再開)

井村君江HAPPY Birthday お祝い企画 【NLQオンラインセッション #08】 妖精の輪の中で――井村君江とお茶を 雑駁な感想 - otomeguの定点観測所(再開)

 

2、山の人魚と虚ろの王

3、夜想山尾悠子

 極私的に2021年の幻想文学におけるもう1つの大きなトピックは、山尾悠子関連の活発な動きでした。『山の人魚と虚ろの王』刊行、《夜想》における特集。

 『山の人魚と虚ろの王』はある夫婦の驚くべき新婚旅行の物語です。新婚旅行に「山の人魚」こと伯母の葬儀が重なってしまい、謎に満ちた建造物が次々と現れ、舞踊団の公演、降霊会、空中浮遊などの妖しげな催しが活発に繰り広げられ、死と生の重なる儀式の数々から蠱惑的で悪夢的なイマージュが立ち現れます。山尾悠子の薫気を存分に味わえる逸品です。

 しかし、2021年最大の収穫はやはりこちらの再販でしたね。新刊ではないのでランク外にしましたが、当ブログでレビュー済みなので再掲します。

 山尾悠子は小説家としての活動の傍ら、若い頃から短歌を作ってきました。深夜叢書社の斎藤慎爾から誘われて刊行されたのがこの『角砂糖の日』。短歌・俳句の世界では知られた仕掛人であった斎藤慎爾に目を付けられた短歌群ということになります。

 山尾悠子の短歌から立ち昇る、言葉によって固定化される以前の、存在のフィギュール。世界とは言葉であり、言葉とは世界であり、差異とは言葉であり、言葉とは差異であり。言葉により生産される差異と、言葉によるあらゆる束縛から自由でありたいという願い、その両端を行き来する往還運動。

 塚本邦雄、春日井健、葛原妙子、山中智恵子らの影響を受けたと山尾悠子自身は書いていますが、恐らくは同人や結社の影響を受けなかったために到達し得た、独自の世界と完成度。曖昧な言葉が排されマニエリスム的に配置された幾何学的でクリアな語群。語が入れ子的につながり暗示しあい、相互に侵食して形成される多義的な世界。現実の彼方にある幻想が湧出し、読み手の心が豊饒なイマージュに閉じ込められる。若き山尾悠子のみなぎる言葉を我々の魂と共振させる。

 「世界は言葉でできている」。山尾悠子とはこの一言に凝縮される作家ですが、彼女の短歌もまた詩や小説と同様に言葉そのものが幻想の薫気を帯びています。しかし、研ぎ磨かれた短歌の語たちは一つ一つが重たく煌めき濃密で澄んでいて、詩や小説よりも凝縮され魅力が増しています。

 と、ここまで書いておいて恐縮ですが、結局やはり、山尾悠子を読むときには余計な意味を付与せずに、脳に浸透する幻想の薫気を堪能できれば、それでいいのです。

山尾悠子『角砂糖の日』感想 - otomeguの定点観測所(再開)

 かつての世界への再訪、美しい新刊もございますので、極私的回顧が終わり次第、感想テキストをあげる予定です。

 

4、英雄たちの夢

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英雄たちの夢 (フィクションのエル・ドラード)

 3年前と同じカーニバルの夜に、主人公の幻惑的な体験が反復されるという物語。超自然的な事象なのか主人公の混沌とした記憶なのかが曖昧なまま、高揚感や不規則な衝動や複数の因果などが絡み合い、読者をも夢想へと誘う強度の魔術や幻想を有する作品です。作品自体の神秘性においてとびぬけた作品といえるでしょう。

 

5、過ぎにし夏、マーズ・ヒル

 ファンタジックな短編の名手、エリザベス・ハンドの作品から、世界幻想文学大賞ネビュラ賞を受賞した短編を集めた濃度の高い短編集です。乳癌に苦しむ母と特殊な伝承に由来を持つ妖精との邂逅を描いた妖精譚である表題作、世界の終末を感じながらも静謐にかつての恋人を想起する「エコー」、今は失われた飛行機とその記録映像の再現を行う「マコーリーのペレロフォンの初飛行」、シェイクスピアの『十二夜』を下敷きにした歌と芝居の物語「イリリア」と、抒情性が強く鮮やかな光を放つ作品が揃います。

 

【とりあえず2021年総括】

 濃密なベスト5になりました。幻想文学にカテゴライズできる作品・叢書の刊行が活発で、近年にない大豊作の年でした。そして、井村君江などのコティングリー関連の出版と、山尾悠子にまつわる活発な動きは、日本の幻想文学史上においても間違いなく重要なトピックであったはず。怪奇幻想の徒として、運動体をリアルに拝見することができ、非常に濃密な1年でした。アトリエサードステュディオ・パラボリカ、2つのリトルプレスが有する矜持にも敬意を表しつつ、2022年もこの流れが続いていきそうなので、非常に楽しみです。