『商う狼: 江戸商人 杉本茂十郎』短評
今回のレビューは先月発売された永井紗耶子の新刊になります。
失礼かつ不勉強ながら、永井紗耶子についてはほとんど注目しておらず、作品もほとんど読んだことがありませんでした。時代小説の作家として地味な印象という程度しかなく、チェックの埒外においていた作家さんでした。
大変申し訳ありません。大きな間違いでした。めちゃくちゃ面白いです。
その成り上がりっぷりを妖怪に喩えられて「毛充狼」と呼ばれた、実在の江戸商人・杉本茂十郎が主人公です。生前、様々に敵を作り、ほとんど友のいなかった茂十郎について、数少ない友人だった堤弥三郎が老中・水野忠邦の命により語り始める・・・という形式で物語は進行します。
甲斐から江戸に奉公に出て、奉公人から町年寄にまで成り上がった茂十郎。出世の階段を上るたびに泥臭く血なまぐさい闘争を重ね、その胆力や腕力を評価されつつも口さがなく罵られます。茂十郎の立身出世の物語がこの作品の縦糸ですが、もっと重要なのは、横糸として折々に挿入される、茂十郎の心の内です。妖怪と揶揄された男が抱えていた不安や緊張、恐怖だけでなく、優しさや情愛にまで踏み込んで描くことで、茂十郎が幾重もの襞を持った魅力的な人物として描かれています。
歴史に名を残す人物が抱えた光と影。歴史には幾面もの面白さがあることを改めて示してくれる良作です。今後、永井紗耶子さんの名前には常に目を光らせていないとだめですね。