otomeguの定点観測所(再開)

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ロリコンおよびペドファイル⇒ゾーニングの徹底およびセルフコントロール

 ツイッター上でロリコンだのペドファイルだのがまた議論になっていますね。複数の筋から意見を求められたので、気が進みませんが一応まとめます。不快に感じる向きもあるかもしれませんがご注意ください。

 まず、ご存知の向きはご存知の通り、私はWEB上でロリもショタも愛好を公言しています。そして、リアルでは児童を相手にした仕事をしています。結論から言えば、小児性愛と児童を相手にした社会的な振る舞いは両立すると思っています。結局、自分の中できちんと線を引くことができるかどうかという問題なのだと思う。

 リアルの児童に性的興奮を覚えることはあるのか? と聞かれたこともありますが、「ない」と答えると「嘘だ!」と言われ、「ある」と答えると「やはりお前は異常だ!」と言われる。曖昧に言葉を濁すしかないんですよ。ぶっちゃけた話、2次ロリ&ショタに手を出している人間の多くが現実の児童に対して性的興奮を覚える素地を持っていると思います。私も仕事であぶない場面に遭遇することは、特に夏の時期は時々あります。

 個人的にはセルフコントロールの問題だと思っています。正直、私にとって現実の児童と接するのはかなりストレスのかかる事象ですが、要はセルフコントロール。目の前の相手はお金を頂いて預かっているお子さんだし、はっきり言えば飯の種です。それに対して妙なことをすれば生活できなくなるので、自分の中に線を引いておかしなことはしない。きちんと必要な仕事を行う。私はそれでコントロールしているつもりです。性犯罪を起こす人間たちは、私の目から見ると自制できなくなった連中なんだと思う。

 小児性愛者はカウンセリングを受けるべきだという意見があります。私もカウンセリングを受けた経験があります。小児性愛に伴う失敗経験はゼロではありませんから。でも、結論から言えば、複数の心療内科やカウンセラーにあたりましたが、成果はあがりませんでした。お前の病気を治療してやるという体でこちらの心の中に踏み込まれても、不快なだけなんですよ。こっちは病気だと思っておらず、社会的にまともな振る舞いができれば問題ないと思っているわけだから。両者の齟齬が埋まることはないというのが複数カウンセリングを受けた結論でした。

 小児性愛者に対する警戒の声は1990年代もゼロ年代も10年代もありました。そして、ロリコン文化に対する警戒の声はやはり1990年代もゼロ年代も10年代もありました。それをずっと見てきた人間からすると、何十年経っても堂々巡りで同じことを議論し続けているという印象です。小児性愛者は病気なのかということに対し、小児性愛ではない人間は病気だ! といって、小児性愛者は病気じゃない! と言う。現実の児童に対して手を出さなければ問題ない! とどの時代のロリコン文化愛好者も言う。ロリコン文化に対する規制に対しては表現の自由の侵害だ! とロリコン文化愛好者が言う。規制派は欧米では規制するのが当然だ、日本が異常な国なのだ、と言う。

 はっきり言えばなんぼ議論しても結論は出ません。規制派も擁護派もお互いの主張をぶつけて自分が正しいと思っているので、妥協点を見出そうとしないんですから。

 どの年代でも出てくるのが「ゾーニング」「セルフコントロール」というキーワードです。この言葉も聞き飽きましたけど、結局はこの2つを徹底するしかないんだと思います。そして、リアルな振る舞いにおいては隠して理性的に振る舞うしかないんだと思います。

 現状、日本は小児性愛に対して寛容な国だと私は思います。2次のロリ&ショタ表現が許容され、かつ2次ロリが社会的に受容される国は世界でもここくらいです。

 結論。小児性愛者は自分が幸福な国に住んでいることを自覚し、自分のゾーンに引きこもりましょう。そして社会的な振る舞いを自ら律し、社会的な死を避けましょう。