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otomeguの定点観測所(再開)

文芸評論・文化評論・思想・社会科・国語表現・性文化・スポーツ観戦・科学・飲み食い・与太話 【一部、性的に過激で頭のおかしな記事があります】

楽園追放サルベージ~アンジェラ・バルザックの潜勢力

アニメ SF ノベライズ ライトノベル 表象文化

 前ブログで挙げていたテキストですが、気になっていたのでサルベージしておきます。某所で出ている同人誌のテキストそのままなんですが、パクリではありません。本日はこの後、日本SF大会のため伊勢に発ちます。次の更新は週明け11日の予定です。

 【アンジェラ・バルザックの潜勢力】

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 アンジェラ・バルザック。彼女は、おそらくは自分の信念のために、そして不注意のために、あるいは他のディーヴァ市民からは幻想的と捉えられるであろうアルカイスムによって、時代錯誤的に楽園における生活を台無しにした人物である。人格が電脳化されているからといって、人間の生はその中で消費され尽くしてしまうわけではない。ごく当たり前のこの事象に対して、電脳化された市民及び頭脳は決して理論武装を解くことはない。進化したとされる意識/無意識は全能であり強力である。電脳のあり方は人格が身体に翻訳されることに徹底的に抵抗する。
 いずれにせよ、人類の進化というものは、電脳においても地上においても本来的には人類をより高みへと継承していくというフェーズに属している。電脳化された人類であればその情報を自己のメモリー(あるいは楽園のメモリー)のうちで増殖させていればよいことだが、身体を有する人類においてはその人格情報は身体を介してそこにある・今ここにある。アンジェラ・バルザックの場合、パーソナルメモリーがマトリクスとして物理的に生成されて、彼女の人格を身体に引き止めている。彼女の存在は電脳に? それとも身体に? 否、アンジェラ・バルザックという固有の殻の内に。
 人格というものの一般的な真理においては、人格とはすなわち安定した堅固で信頼できる存在であり、人格は耐久性を備えており、損傷なくヴァーチャルからリアルワールドへ、あるいはリアルからヴァーチャルへと、いささかの瑕疵なく伝えられるということになるのだろう。しかし、アンジェラ・バルザックが生誕したディーヴァにおいて、そして彼女がリアルとヴァーチャルを行き来するそのプロセスにおいて、彼女を彼女たる人格に結びつけている組紐、この唯一の組紐は、ディーヴァ的な真理という、真理の真実性、あるいは真理の意味論的モチーフが恣意的に剥奪された状態で、アンジェラ・バルザックという人格の無事なものや汚されていないものの不可触性は、神聖なものとされるディーヴァの法、さらには平たく言えば恣意的な上位者の意思によって擬似宗教的につなぎとめられているだけでしかない。とはいえ、この組紐はほとんど無数と言える人格や身体のモチーフ、あらゆる快楽や感情などをつなぎとめている。その例は際限なく挙げることができるだろう。この組紐は恣意的でありながら無限性を有しているのである。無数の組紐が仮想世界において共鳴し合っている。アンジェラに限らず無数の人格が、次々と輝いていく共鳴に沿って、際限なく投影されている。その投影は、仮想化された人間の生において、つまり自分という無数の種の洞窟において、途中で幾重にも反射され照射されることを繰り返すことで、増幅されている。諸々の組紐はお互いを認識できないわけではないが、まずは自己という固有の性を仮想ではあるが与えられ、認識を超えたところで交差され、しかし本質を見極めることができない近視眼的ないし盲目的なものとなる。組紐については盲いた者の方が自覚しやすく、仮想空間というテクストの織り糸と同様に、結局は認識不可能・翻訳不可能な位相にとどまる。誰も決して、この組紐をディーヴァという檻の外へと持ち出すことはなく、その組織全体、拡張することも縮小することもない停滞した人類の運命の外へと持ち出すこともないだろう。ディーヴァの住人たちは、楽園という幻想のもとに、自分の人格が決して自分のものではなく、自分ものものではないということはないにしても、否、それゆえにこそ、社会的な檻の中での転回に生を委ねているのである。彼らはその生を楽園の外には置かないようにして、もはや自分自身が自己の系譜も家族や友人たちも檻の中でしか存在し得ないと認めるという形でなければ、その存在証明を共有できないのだ。
 自我を失わないように、自己を失わないように、アンジェラ・バルザックは行動した。無数の組紐の中の一本の糸、彼女が決して失わない一本の糸とは彼女が地上で得た自らの存在証明のことであり、それは鋭いエッジをかざしながら仮想の軛を振り切ってアンジェラ・バルザックという人格を大地に織り込んでいる。アンジェラ・バルザックという組曲は最後、地上において歌われている。彼女が歌っているのは身体に根ざした共鳴する知なのだ。身体においては唇を震わせることで言語を紡ぎ、意志を表す。物理的な接触こそが肝要となる。最後、彼女が選んだのは身体知であり、人類という種の原点であった。彼女は楽園を追放され、しかし原点に還った。この物語は回帰を謳った物語だったのである。