遅々として進んでいないレポートですが、第6弾に参ります。今回は、合宿企画で行われたジーン・ウルフ追悼企画のレポートです。岡和田晃さんを中心に、巽孝之さんや小谷真理さんなどが時々加わって議論を交わしていました。議論が抽象的かつ難解で、様々な論点が飛び交っていましたので、知的昂揚がありながらも収斂の難しい場でした。完全には追い切れていないので申し訳ないですが、論点をできる限りまとめていきます。
Summary Bibliography: Gene Wolfe
SF作家のジーン・ウルフが死去 | TechCrunch Japan
調停者の鉤爪(新装版 新しい太陽の書2) (ハヤカワ文庫SF)
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拷問者の影(新装版 新しい太陽の書1) (ハヤカワ文庫SF)
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岡和田晃_『骨踊り 向井豊昭小説選』 (@orionaveugle) | Twitter
Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)
ジーン・ウルフのテキストは難解だ、よく分からないという感想をよく聞きます。読者に腕利きが多いといえばよく聞こえますが、「何かよく分からないがすごい」といういい加減な感想をテキスト化している場合も多いような気がします。しかし、難解であるがゆえに、テキストに/で全てが書かれているとみなすニュー・クリティシズムを用いれば、ウルフのテキストを論の対象にしやすいことは間違いないでしょう。論者がウルフをきちんと読解しているかどうかはまた別の問題ですが。
いい小説とは? 第三回 新批評(ニュー・クリティシズム) | いい小説とは?|盗作日記
新批評(ニュークリティシズム)とテクスト論:はじめの三歩:So-netブログ
ニュー・クリティシズム以後の批評理論〈上〉 (ポイエーシス叢書)
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〈新しい太陽の書〉はネビュラ賞・ローカス賞・キャンベル記念賞・世界幻想文学大賞など数々の賞に輝いたシリーズですが、残念ながらヒューゴー賞は取れませんでした。玄人好みだが大衆受けはしないというのがウルフ作品なのでしょうか。〈新しい太陽の書〉は衒学的で、作品の本質をなかなかとらえにくいところがあります。トールキン的な方法論で構築されたファンタジーではなくサイエンス・ファンタジーであり、科学技術のアナロジーで世界が構成されているということもあるでしょうか。
ウルフのデビュー作『Operation Ares』はファーストコンタクトの脱構築というべき作品であり、
2作目の長編にあたる『ピース』は広義の幻想文学というべきものでしょう。
難解な初期作品といえばやはり『ケルベロス第五の首』です。
岡和田さんもおっしゃっていましたが、私にとっても難解で読みにくかったです。翻訳が出た当時、SFサイドよりもむしろ新本格を中心としたミステリサイドから好意的な評価が上がっていた記憶があります。メタ的・間テキスト的な仕掛けをメタミステリの一種や叙述トリックとして表面的に解すれば、とりあえず読めた気にはなります。しかし、さらにさまざまな深みがあるのがウルフです。ナボコフ『アーダ』のごとく、2つの事象が交錯しつつずれていく語り=騙りが仕掛けられています。
作中に散種された象徴=表象を追っていけば、固有名詞の使い方に様々な意味が付与されているところからメタ的・間テキスト的な解釈ができますし、先住民の寓意が語られている説話的な物語と説くこともできますし、一見テキスト表層とは関係なさそうですが主体が入れ替わりながら物語の真相を告白=開示していくメタミステリ的な小説としても構成されていますし。いくらでも物語の切片を拾うことができそうです。
多彩な組み合わせから作品が構築されているという点では『デス博士の島』も同様です。この作品は、盲目の人物の視点で紡がれた軌跡が統一されていく軌跡=奇蹟と呼べるものです。
「お前の作品ではコスプレができない」と言われ、それに対してウルフが何とかしようとして(??)書いたのが〈ウィザード・ナイト〉だそうです。 オーソドックスなファンタジーとしても読めるので、ウルフの中では一般向きの作品といえるかもしれません。
5/25追記
「お前の作品ではコスプレができない」と言われ、それに対してウルフが何とかしようとして(??)書いたのが〈ウィザード・ナイト〉」→これは『新しい太陽の書』のセヴェリアンの造形だと柳下毅一郎さんが証言しておられます。ただ、小谷さんによれば、ウルフ作品のコスプレは見たことがないそう。
— 岡和田晃_『骨踊り 向井豊昭小説選』 (@orionaveugle) May 26, 2019
でも、ヒューゴー賞は取れませんでした。
〈新しい太陽の書〉に戻ります。このシリーズの哲学的・宗教的モチーフについて、みんな解釈を避けてきましたが、やはり批評の肝から逃げてはいけません。〈新しい太陽の書〉における(セベリアンの)語りの時間は円環的な時間を描いており、語りが(いうなれば時間的に)宙づりにされて/なっています。セベリアンは完全記憶の持ち主ですが、彼の語り=騙りには恣意的な語り落としがあります。例えば、セベリアンはアンチヒーローであり、実は物語の最初から独裁者だったということが丹念に読み込むと分かるのですが、恣意的な語り落としがあるため表面的な読解で読み取るのは難しいです。セベリアンの恣意的な忘却は、アウグスティヌス『告白』における信仰告白と時間性、すなわち以前の時間を忘却することで(告白以降の)時間が生まれるという円環的な時間性に等しいものです。このことは岡和田さんが以前指摘なさっています。
アウグス ティヌス 告白 (下) (岩波文庫 青 805-2)
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ウルフはカトリックだったので、彼の信仰が作品内における円環の時間や復活の描写、汎神の存在などにつながっているという解釈もできます。また、戦闘シーンが短くて敗れたキャラクターがあっという間に退場するのはカトリック的な時間観であり、最後の審判で敗者が即退場することの外挿であるという解釈もできます。その一方、〈新しい太陽の書〉にはアンモラルな部分も多数存在します。例えば、セベリアンは円環を断ち切る拷問者であり、食べた人間の記憶を獲得するというカニバリズム的な側面があります。
また、セベリアンは王と独裁者という政治的身体ー自然的身体の二重性を有しており、ここにエルンスト・カントロヴィチの「王の二つの身体」の論が適用できます。
'15読書日記38冊目 『王の二つの身体』エルンスト・カントーロヴィチ - Hello, How Low?
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〈新しい太陽の書〉で最も衒学的な巻は恐らく『新しい太陽のウールス』でしょう。
『ウールス』においてはマクロコスモスとミクロコスモスが照応しており、読者は外宇宙を旅しながら内宇宙を旅するという幻視に陥ります。後にプリーストが内的到達への旅を行う円環的・螺旋的な組み立てを駆使しますが、ウルフは同種の実験をプリーストよりも早期から行っていました。
- 作者: クリストファープリースト,Christopher Priest,古沢嘉通
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宗教的・哲学的なモチーフを取り上げていくときりがありません。しかし、語りの難解さを除いても〈新しい太陽の書〉はヒロイック・ファンタジーとしてきちんと成立しており、例えばGURPSでもカバーされています。このサプリメントにはウルフの研究者が関わっており、歴史・キャラクター・地図など世界の解説が密に行われています。
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ヒロイック・ファンタジーとして見たとき、セベリアンにはエルリックの造形を引き継いでいる部分があります。刃に水銀が流れるセベリアンの剣は、ムアコックにおける数々の禍々しい剣を想起させます。また、セベリアンにとって死は美しいものでありながら忌まわしいものであるというダブルバインドであり、死に翻弄されるセベリアンは自身の運命から逃れたくて回想=語り=騙りを行っているともいえます。運命に翻弄されるという構図は〈エターナル・チャンピオン〉と同様といえるでしょう。
永遠のチャンピオン (ハヤカワ文庫 SF 529―エレコーゼ・サーガ1)
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黒曜石のなかの不死鳥 (ハヤカワ文庫 SF 531―エレコーゼ・サーガ2)
- 作者: マイクル・ムアコック,井辻朱美
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ファンタジーにおける政治性という観点で見ると、ムアコックが王制を認めているのに対し、ウルフやライバーはヒロイック・ファンタジーにおいて設定せざるを得ない階級制は認めるもののやはり民主制のほうがいいと考えています。この点に、王制を受け入れているイギリス人とそうではないアメリカ人の差異、アメリカ人的な民主制ー王制間における葛藤が見られます。
ランクマーの二剣士 〈ファファード&グレイ・マウザー5〉 (創元推理文庫)
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ファンタジーと政治性については、ウィリアム・シャープ/フィオナ・マクラウドがジェンダー的に歪みを有しているという話や、ケルト・リバイバルやアイリッシュ・リバイバルは本来は政治的ナショナリズムのはずなのに現在はポップ・カルチャーになってしまっている、などの論点が出ていましたが、あまり突っ込んだ議論にならなかったので、列挙しておくにとどめます。
ヒロイック・ファンタジーは様式美であり、形式がきっちり定まっています。その枠組みが堅固だからこそ、ウルフは〈新しい太陽の書〉で様々な実験ができたのでしょう。ファンタジーとしてシンプルに読もうとすると、やはりウルフは読んでいてスカッとしません。これが批評性というやつです。形式的なファンタジーといえば例えばゼラズニイですね。衒学的な深みは全くありません。
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作品論のほか、ウルフ本人にまつわる話も出ていました。
巽孝之さんによると、ウルフはニューヨークファンダムの周辺にいた人物で、David Hartwellの影響を受けているようです。Hartwellはコロンビア大学で中世文学の博士号をとった人物で、SF外でも論文が様々に引用されているそうです。HartwellはTor Booksの編集者なので、ウルフ作品でコスプレができないのはHartwellの差し金である可能性があるそうです。
The New York Review of Science Fiction
巽さんは1984~1987年に留学していた頃、ウルフとも会っていたそうです。ちょうどディレイニーがカリスマだった時代ですね。『ダルグレン』における円環構造はウルフに通じるところもありますが、ところどころに綻びがあるのはディレイニーの若書きゆえということもできるでしょう。ディレイニーが多層的な仕掛けを施した作品でロックスター的な輝きを放っていたのに対し、ウルフは宗教的・哲学的で観念論的な作品を書きました。このウルフとディレイニーの差異はウルフが30代半ばでデビューしたことも関わっているのかもしれません。ナボコフやプルーストを読んでおかないと、ウルフ作品には理解の及ばない部分があります。ウルフはディレイニーよりも遅れてきたスペキュレイティヴ・フィクションといえますが、ウルフには戦闘性がないこともディレイニーとの差異の一つですね。
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ウルフには未訳作品がまだまだあるので、これからもぜひ翻訳を進めてほしいところです。未訳作品の中で岡和田さんが推していたのがこちらです。
Castle of Days: Short Fiction and Essays (English Edition)
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小説ではなくエッセー集ですが、〈新しい太陽の書〉に関するエッセーである「The Castle of the Otter」も収められており、〈新しい太陽の書〉の世界を知るうえで必読だそうです。私はまだ未読ですが、Kindleで購入できるので読まないとだめだな。