『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』短評
今回のレビューは8月に中央公論新社からでた書籍です。
作者自身のアイデンティティの照射? 台湾出身で日本で暮らす母と台湾国籍でありながら日本で生まれ育った娘との、家族内の問題だけでなく文化や言語、そしてアイデンティティの問題へと踏み込み、母娘の視点で立体的に構成された作品です。母は日本語と中国語と台湾語のちゃんぽんでたどたどしい日本語、娘が操るのはあえて日本語がメイン。母は娘を信頼して何語でしゃべってもOKであると感じていながら、娘が思春期の頃から感じていた違和感と恥ずかしさ。
やがて娘は、日本人の夫と結婚し、母の故郷である台湾を訪れて流暢な台湾語に触れることで、アイデンティティの揺れ動きに葛藤します。台湾において飛び交う、日常語としての台湾語、公用語としての中国語、日本統治下において強制された昔の日本語。日本にいると意識しないクレオールの混交は、アイデンティティには多彩な根があるということ、多様性を尊重することの意味を読者に突きつけてきます。
そして、人と交わることの源とは。言葉がたどたどしくても思いは伝わること、言葉が通じても分かり合えないこともあること、相手を尊重する寛容さこそが大切であること。ごく当たり前のところに物語は着地します。
日本は単一民族であるという誤った幻想、ヘイトをまき散らす排外主義、国家への同調を求める自民党が無邪気にふりまくファシズム、寛容さを失い独裁に走る指導者たちと知性に欠ける支持者たち。世界が危うい方向に流れる中で、人が人としてあることの大切さを紡ぐ作品に出会うことは一服の幸福を与えてくれます。