otomeguの定点観測所(再開)

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『輝山』短評

 なかなか体調が回復せず、また更新の間が空いてしまいました。今年は思うように任せないテキスト更新ですが、この場末ブログに飽かずお付き合いいただければ幸いです。

 今回のレビューは、10月に発売された、澤田瞳子直木賞受賞後第1作となる歴史小説です。

 

 多視点で濃密な群像劇、というのがこの作品の適切なまとめになるでしょう。舞台となるのは世界遺産に指定されている石見銀山。現在はすっかり衰退した日本の鉱業ですが、江戸時代はヨーロッパ経済に影響を及ぼすほどの活況を誇っていました。

 石見銀山を担当する大森代官所の新代官・岩田鍬三郎、その身辺を探る代官所の中間・金吾、金吾のかつての上役・小儀十郎など、まずは武士たちから・上からの視点。役人たちが銀山の安全を考えて職場環境の改善に励む一方で、幕府内での出世競争を巡る泥仕合

 「気絶(けだえ)」と呼ばれる鉱山の職業病のため30歳前後で死んでしまうが大金を稼ぐために必死に働く坑夫たち(掘子)、飯屋の看板娘(?)・お春、堀子たちを支える家族、飯屋に出入りする怪しげな僧・叡応など、階級が低い登場人物たちがドタバタを繰り広げる、下からの視点の物語。

 石見銀山に関わる人々の群像が多彩で濃密に描かれており、人情ものとして秀逸な出来になっています。

 その一方で、石見銀山の採掘に関わるシステム、代官所の内情、鉱山の精製過程などの時代考証が綿密で、当時の技術を巡る歴史小説としても素晴らしい出来です。そこに各章ごとにミステリ・サスペンス・パンデミック小説・恋愛小説など様々なアイデアやプロットが投入されており、恐るべき密度の小説となっています。

 江戸時代後期、産出量が減って伸び悩む石見銀山の姿は、斜陽な日本の経済と企業の姿に強く重なります。上司からの無茶なノルマ、年々多くなる天引き、新興業者による中抜き、利益優先の経営者、待遇改善を声高に叫ぶ労働者などなど。

 でも、この本が不幸な雰囲気に染まらないのは、代官所の役人たちができる限りサポートに努めており、労働者たちも必要なら声をあげ、ちゃんとコミュニケーションが取れているから。21世紀現在、このやりとりができる会社がどれくらいあるかと思うと、心細い限り。歴史・時代小説を読んでいていつも感じることではありますが、時代が変わっても、日本人の働き方って根本では変わっていないんだと思います。