otomeguの定点観測所(再開)

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『ばにらさま』短評

 10月に亡くなった山本文緒さんに改めて哀悼の意を捧げつつ・・・

 

 作者が亡くなる前月刊行になった短編集ですね。山本文緒さんの小説は、ごく普通の市井の人々の不幸や内面を克明に開陳してきた、というイメージがあります。読んでいてざわざわと自分の思うさまが活字として浮かび上がってくるような、家族や友人の知らない一面を突き付けられているような。そこに迫真的なリアリティと恐怖を抱きつつも、感情が鮮やかに解放されていく様に救われ、彼女の物語に引き込まれていくのでしょうか。

 極私的には、表題作の「ばにらさま」がお勧め。一流会社に勤めて一応エリートとしてのアイコンを持っている「僕」と、派遣社員でいつも可憐な顔で調った服装でモデルのようなアイコンをまとう「僕」の恋人・瑞希。男がアイコンとしての瑞希にとらわれている一方で、当然ながら瑞希には苦労し苦悩しつつもしたたかに生きる面と感情の起伏と生々しい深層と彼氏には見せない裏の顔があります。男性視点から見ると、潔い別れの描写がすがすがしく思えました。

 等身大の生きづらさや弱さを描いているにもかかわらず、登場人物たちは四苦八苦しているにもかかわらず、煽るような「弱者」などというワードが出てこないことも魅力でしょう。作品の主題を社会的な齟齬に落とし込むのはたやすいことだと思いますが、あくまで人のありさまにシンプルに焦点をあて、そして切なく落とす。構成の巧みさも光っていたのだと思います。