フケー『魔法の指輪 ある騎士物語』感想
すっかり更新の間が空いてしまいました・・・。怠惰な場末ブログで本当にすみません。今回のレビューは、先日、幻戯書房から発売された、ルリユール叢書、フケー『魔法の指輪 ある騎士物語』です。
本年における幻想文学・ファンタジーにおける最重要著作の一つです。すぐに購入し、耽溺すべきです。ネタバレを含む紹介リンクを貼っておきますが、リンク先を読むことなくタブラ・ラサの状態で美しい幻想に浸るべきです。
フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー『魔法の指輪 ある騎士物語 上・下』解題(text by 池中愛海・鈴木優・和泉雅人)|幻戯書房編集部|note
幻想文学・ファンタジーの歴史を語るうえで絶対に外せない作者であり作品です。なぜこの作品がいままで邦訳されず、フケーの主要な紹介が『ウンディーネ』/『水妖記』のみにとどまってきたのか。悔しいことに私には原文を解する力がないので、フケーの主要作品について英訳・仏訳でじわじわと読み進め始めたところです。
優美な詩想、幻想の香気、神話への接続、闇と光が織り成すキリスト教的世界観、中世世界のアレゴリー、騎士道的な王道の物語、物語世界の深層を支える深き闇、人智をこえた超自然的な存在者による圧倒的な存在感、神秘主義に通じる根本問題的な志操などなど、この作品の特徴・美点をあげたらきりがありません。ここであえて一つあげるとすれば、現代の幻想文学・ファンタジーが有する物語の原型=元型は既に初期の段階ですべて用意されていたということです。否、幻想文学・ファンタジーという文学ジャンルは、そもそも初めから美しく完成されていたのです。『魔法の指輪』を読みながら、無数の幻想文学・ファンタジー作品の点景が想起されました。
そして、詳細は訳者解題で触れられており、多くの怪奇・幻想の徒やファンタジーファンにとっては自明のことですが、やはり幻想文学・ファンタジーの想像力の源泉に国境をあてはめるのは無意味であること。神話や魔術の元型があまねく偏在し、人間の無意識や超自然的なものを希求する幻想文学・ファンタジーが下部構造的に支えられているという、人間の想像力の普遍的側面に目を向けるべきです。フケーの後に続く、トールキンやルイスやマクドナルドやポーやラヴクラフトやモリスやイエイツやマッケンなど無数の峰々について考えると、フケーの先駆としての偉大さはより際立つでしょう。