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otomeguの定点観測所(再開)

文芸評論・文化評論・思想・社会科・国語表現・性文化・スポーツ観戦・科学・飲み食い・与太話 【一部、性的に過激で頭のおかしな記事があります】

思弁的実在論関連サルベージ~《ナイトランド・クォータリー》vol.04 「ウィリアム・ホープ・ホジスンと思弁的実在論/岡和田晃」への反応

 引き続き、4月に吹き飛ばした前ブログのテキストのうち、思弁的実在論関連のものをサルベージした再掲です。以前、今年のSFセミナーのレポートにも引用しているものですが、項目として独立させます。繰り返しで恐縮ですが、ご了承ください。なお、以下のテキストは私の誤読を訂正する内容になっております。

 

 結論、極めてエキサイティングな論考で、知的昂揚を覚える文章でした。こういうものを読みたかったし、待っていたんです。思弁的実在論および新しい唯物論において、これまで哲学・思想サイドからSF・幻想文学・ホラーに対してアプローチを行った論考はこれまで何本も読んできました。しかし、チャイナ・ミエヴィルを除けば、SFサイドから思弁的実在論に対してアプローチを行った原稿は、特に日本人の論考としてSF系の商業誌に掲載されたものは、これが初めてだと思います。最近は同人誌や紀要などを全く追い切れていませんし、商業出版物のチェック量もかなり落ちているので、断定するのは危険なんですが。SF・ホラーなど文芸評論の側においては、まだ思弁的実在論や新しい唯物論の理論的受容が不十分なのでしょうか。一方、哲学・思想サイドからSF・幻想文学・ホラーなどにアプローチした論考を読むと、ジャンル小説についての読書量が明らかに足りない論考が多く、読みながら不満を覚えることがよくありました。今回の岡和田晃の論考は、理論的な租借が十分になされたうえで、当然ですがSF・ホラーについても精通していて、哲学と文芸の両者を架橋した見事なテキストだったと思います。

 当ブログでも思弁的実在論については稚拙なエッセーを何本か書いてきましたが、すみません。素人の雑な仕事の上、完全な誤読を行っておりました。岡和田論考を読んで、当ブログの幼稚さを痛感した次第です。

 これまでグレアム・ハーマンはラヴクラフトを誤読しているとえらそうなことを書いてしまいましたが、訂正します。私のハーマンのテキストに対する読みが浅く、私がハーマンを誤読していました。そして、思弁的実在論についてきちんと理解することなく、従来の唯物論に基づいた安易な解釈を行っておりました。謹んでお詫び申し上げます。

 岡和田論考をもとにざっくりまとめますと、思弁的実在論とは、カントの超越論哲学の超克を試みつつ、表象として世界をとらえる認識論です。「物自体」を認識不能とみなすのではなく「物自体」はそもそも不確定なものだとして理解されます。端的にいえば、実在しない実在について、実在しないこと自体をとらえようとする認識論であり存在論です。ここでは人間中心主義が超克され、強い相関主義を有する観念論、つまりドゥルーズの思弁哲学が召喚されます。恐怖小説における名状しがたい幻惑や美をそれ自体として、不確定なものとしてとらえること、それがハーマンの述べる「怪奇的オブジェクト」でした。ハーマンの「怪奇的オブジェクト」について、「物自体」は認識不能であるとする従来の唯物論に基づいて解釈したため、私の誤読は発生しました。誤読を認識したことで、少しは正しい議論に近づいていければいいのですが。

 さて、今後の議論の発展ですが、SFサイドからもどんどん反応が出てくるといいですね。思弁的実在論を駆使した批評の領野は恐怖小説にとどまらず、例えば、サイバーパンクSFの再評価、『serial experiments lain』を筆頭としたサイバーパンクの系譜に属するアニメ・コミック批評、レムなどの思弁的SFの批評、ファンタジー・幻想文学における「神とは何か」「超越者とは何か」という異世界での根本問題に対する認識論的考察、SF詩の読解など、豊饒な可能性を有していると思います。今後のSF・幻想文学・ホラーなどの文芸批評の展開をしっかり追っていきたいものです。