otomeguの定点観測所(再開)

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肯定的&否定的レビュー『現象学のパースペクティヴ』

 多忙やら体調を崩したのやらが重なって、久しぶりの更新になってしまいました。なかなかコンスタントな更新ができませんね、うーむ。場末もいいところのブログでございますが、飽かずお付き合いいただければ幸いです。

 今回は久しぶりの現代思想系のテキストです。

 【まずは紹介】 

現象学のパースペクティヴ

現象学のパースペクティヴ

 

 今年の3月に晃洋書房から発売された現象学の論集です。現代の現象学研究者の論を集めた書籍というのはなかなかないので、元・現象学の徒(??)およびサルトリアン(??)としては大いに興味を惹かれました。東洋大学現象学文化の照射なので、私の関心領域や趣向とはかなり異なる側面もありますが、久しぶりに頭の中を現象学に染めながら楽しく読ませていただく・・・つもりでした。

現象学のパースペクティヴ 感想 河本 英夫,稲垣 諭 - 読書メーター

 

現象学の徒としての肯定的レビュー】

 力作・意欲作であることは間違いありません。上のリンク先のコメントにもありますが、現時点での研究の方向性についてできるだけパーステクティヴが多彩になるように、そして現状の問いについて可能な限り大胆にかつ簡潔に、まとめたという論集なので、一つのテーマについて深く考察するというよりは、ガイダンス的な論考が大半でした。また、著者の筆力によって論の出来がばらけていて、玉石混交という印象がありました。紀要論文の水準はきちんと超えている論考が大半ですが。

 とはいえ、フッサールの志向性⇒ハイデガーの現存在/世界内存在⇒メルロ・ポンティの肉と襞⇒レヴィナスの他者⇒アンリのパトスと、現象学の歴史をきちんと俯瞰したうえで(サルトリアンとしてはサルトルの対自=コギトが黙殺されていることに文句を言いたくなりますが、まあ『存在と無』は壮大な失敗作なので・・・)、

エトムント・フッサール - Wikipedia 

イデーン-純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 〈3〉

イデーン-純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 〈3〉

 
イデーン-純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 (2-2)  第2巻 構成についての現象学的諸研究

イデーン-純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 (2-2) 第2巻 構成についての現象学的諸研究

 

 マルティン・ハイデッガー - Wikipedia 

存在と時間 1 (古典新訳文庫)

存在と時間 1 (古典新訳文庫)

 
存在と時間 2 (古典新訳文庫)

存在と時間 2 (古典新訳文庫)

 

ジャン=ポール・サルトル - Wikipedia 

存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)

存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)

 
存在と無―現象学的存在論の試み〈3〉 (ちくま学芸文庫)

存在と無―現象学的存在論の試み〈3〉 (ちくま学芸文庫)

 
存在と無―現象学的存在論の試み〈2〉 (ちくま学芸文庫)

存在と無―現象学的存在論の試み〈2〉 (ちくま学芸文庫)

 

 モーリス・メルロー=ポンティ - Wikipedia

知覚の現象学 1

知覚の現象学 1

 
知覚の現象学 2

知覚の現象学 2

 

 エマニュエル・レヴィナス - Wikipedia 

全体性と無限 (上) (岩波文庫)

全体性と無限 (上) (岩波文庫)

 
全体性と無限〈下〉 (岩波文庫)

全体性と無限〈下〉 (岩波文庫)

 

ミシェル・アンリ - Wikipedia 

身体の哲学と現象学 〈新装版〉: ビラン存在論についての試論 (叢書・ウニベルシタス)

身体の哲学と現象学 〈新装版〉: ビラン存在論についての試論 (叢書・ウニベルシタス)

 

 時間認識⇒デカルト読解⇒科学⇒感覚⇒身体認識⇒臨床⇒死⇒言語⇒他者⇒意識の志向性⇒魔術⇒魔術的トリップ⇒詩という流れで現象学的考察を広く展開していて、入門でありながら多彩な視座で知的刺激を与える構成になっています。

 現象学とは、あらゆる事象に対して高い感度を保ちながら、強い現象学的思惟を基盤にしてあらゆる事象を体験し=開示し=記述する学です。そこには常に新たな運動と展開があり、探求の悦びがあります。従来から語られてきた臨床における応用や、現代詩を題材としながらフッサールへと回帰していく芯においてクラシカルな詩論だけでなく、哲学的な対象としては危うい魔術という事象を射程に入れ、魔術的な意識の変容やトリップについてまで現象学的な考察を行ったという点において、この本の視座の多彩さと射程の広さは知的刺激にあふれています。私と同世代または下の世代の若い哲学・思想研究者による意欲的な挑戦を生硬く文章にしたためか、不完全な点は散見されますが、意欲的な研究者の問題意識がこれだけバラエティに富んで一堂に会しただけでも、この本が出版される価値はあったといえるでしょう。現象学に関心のある方なら手にとって損はないと思われる著作です。

 と、ここまでが現象学の徒としての建前です。

 

【文芸評論・表象文化論的視座からの哲学・思想的には的外れな否定的レビュー】

 ここから視座が大きく変わり、揚げ足取りのようになりますがご容赦ください。

 哲学・思想という枠内で評価すれば、十分に価値のある著作なのでしょう。しかし、現象学の枠を飛び出して他ジャンルの事象や作品などにアクセスする場合、アクセス先のジャンルや作品、概念枠組みなどについての言及は必要であり、文学を扱うなら文学理論的な、文化表象を扱うなら文化理論的な理論武装は不可欠のはずです。つまり、哲学・思想的な理論的基盤は担保しつつも、他ジャンルの要素を盛り込まなければ片手落ちになるということです。しかし、各論考において他ジャンルについてのインデックスの乏しさが散見されます。特に気になったので、11「魔術的仮想世界の現象学」と12「現象学の文学化の試み」についてぶっ叩いてみましょう。哲学・思想サイドからは野心的な取り組みに見えても、アクセス先のジャンルにおいては既に論じられている題材であるということです。

 まず、「魔術的仮想世界の現象学」11の難点は、魔術の意識変容のモチーフがジョン・ディーやエドワード・ケリー、メイザースまでを参照したところで止まっている点です。『ソロモンの鍵』から明晰夢として意識を明晰にした魔術的トリップを引き出し、コリン・マッギンを参照しつつ病的な幻覚を排して明晰な魔術的仮想世界を構築する基盤を論じたところまではいいのですが、

https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/18672.pdf

武内 大(哲学) | 自治医科大学 教員業績データベース

ジョン・ディー - Wikipedia

エドワード・ケリー - Wikipedia

コリン・マッギン - Wikipedia 

マインドサイト―イメージ・夢・妄想

マインドサイト―イメージ・夢・妄想

 

 クロウリー以降の20世紀のオカルティストたちへの参照がなくてエノク魔術の扱いがあいまいですし、サイケやドラッグカルチャーなどへの言及がないですし(ティモシー・リアリーもジョン・C・リリーも出てきません)、意識変容を扱っているSF・ファンタジー・ホラー作品への言及もないですし、1990年代以降のネット文化への言及もないですし、オブジェクト指向存在論についての言及もないですし、脳科学的なアプローチもないですし。とにかく参照項が少なすぎます。意識変容や明晰夢についての類似の議論は様々なジャンルで重ねられてきているのですから、先行研究や先行作品をもっとしっかりインデックスとして使うべきでしょう。

アレイスター・クロウリー - Wikipedia

ティモシー・リアリー - Wikipedia

ジョン・C・リリー - Wikipedia

ウィリアム・ギブスン - Wikipedia

Douglas Rushkoff - Wikipedia

マーシャル・マクルーハン - Wikipedia

グレアム・ハーマン - Wikipedia

 

 12においてもやはり参照項の乏しさが目につきます。現象学の詩論としてハイデガーフッサールを引っ張り出し、さらにフロイトにヴァレラとドゥルーズの襞をかぶせ、バシュラールを絡めて立論したところまでは、理詰めとして成立しています。 

芸術作品の根源 (平凡社ライブラリー)

芸術作品の根源 (平凡社ライブラリー)

 

  

  

差異と反復〈上〉 (河出文庫)

差異と反復〈上〉 (河出文庫)

 
差異と反復〈下〉 (河出文庫)

差異と反復〈下〉 (河出文庫)

 

  

空間の詩学 (ちくま学芸文庫)

空間の詩学 (ちくま学芸文庫)

 

  

夢想の詩学 (ちくま学芸文庫)

夢想の詩学 (ちくま学芸文庫)

 

 しかし、問題は、現代詩一般を題材とした論なのに、言及されている詩人が荒川洋治のみであること、しかも詩の引用が一か所もないことです。射程の広い詩論なのですから、きちんと複数の詩人に触れながら詩的言語について検討すべきです。

 さらに問題なのは、

詩歌は、発声するという実演によって行為されることばである。それは、反省的記述によって書かれた文字とは異なり、徹頭徹尾主観的な語りになる。詩を書くこと、そして詩を読むことは、日常言語における通常の呼吸法とは異なる風変わりな口もとを人前で晒す。

 という結論部の記述です。ここまで言い切るからには、複数の詩人の言語、あるいは詩論を引用したり検討したりしながら、精細なテクスト分析が求められるはずですが、詩論としての構成が一切捨象されています。紙幅が短いのは分かりますが、 筆者にどれだけ詩、とりわけ現代詩の蓄積があるのか、大きな疑問符が残りました。

 文学・文化表象などについての参照を行わず、哲学・思想サイドからのアプローチのみで他ジャンルの表象を扱うという、哲学・思想研究者がよくやらかす欠陥が、この本でも散見されました。