以前取り上げたこちらの本を読了したので、軽くですが感想のテキストを挙げてみたいと思います。原文の印象に意図的で極私的な形容や婉曲が加わっておりますので、あしからずご了承ください。
【抑圧を抑圧自体としてとらえ、非戦闘的ながらエネルギッシュに戦闘的に】
Jesse Bordwin reviews Object-Oriented Feminism – Critical Inquiry
Project MUSE - Object-Oriented Feminism
Object-Oriented Feminism — University of Minnesota Press
You Can’t Have Me: Feminist Infiltrations in Object-Oriented Ontology - Los Angeles Review of Books
Object-Oriented Feminismの書評。OOOとフェミニズム。ボトックス論とサイボーグ論がおもしろそうだ。ティム・モートンも論文を書いている。 https://t.co/iFwqUV9pqp @lareviewofbooksさんから
— 逆卷 しとね (@_pilate) 2017年4月17日
ミネソタ大学出版局『Object-Oriented Feminism』(2016)https://t.co/amOcQgouFk
— 須藤玲司 (@LazyWorkz) 2017年5月15日
オブジェクト指向フェミニズム!情報科学から20年遅れでフェミニズムにもOOのビッグウェーブ到来か!
「データベース消費」よりマシな用語だといいな… pic.twitter.com/NbCnTR6Z3t
この間、Object-Oriented Feminismという論集を読んでいて、けっこう面白かったです。
— 千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中 (@masayachiba) 2017年11月25日
もう少し貼れますが、これくらいで。
まずは論集全体を概観した感想からいきましょう。以前、上記のリンクで触れたゼノフェミニズムが、SR(思弁的実在論)の戦略をベースにしながら、生ぬるい似非フェミニズムを排除し、テクノロジーとそれに伴う加速的な未来を肯定したうえで、現代のテクノロジーによる女性疎外を反転させて抑圧からの反撃を行うという極めて戦闘的で扇情的な宣言であったのに対し、
Laboria Cuboniks | Xenofeminism
OOO(オブジェクト指向存在論)をベースにした『OOF』は、ゼノフェミニズムよりもアンチソーシャルな圏域に軸足を置くことで非在に対する強度を高め、相対主義を批判するかのような論理構成を行いつつも、コンテクストの操作によって抑圧を転倒させようするのではなく、抑圧を抑圧自体としてとらえることで抑圧の事実性を担保することから抑圧に対する反撃をしようとしています。抑圧を存在者どうしの関係性のみの視座でとらえてしまうと、そこに抑圧を転倒させて反撃に転じる余地はありません。しかし、抑圧の関係性(という存在者)に対する認識をそこにあるがそこにあらずそこにはないがそこにあるものとして関係性の潜勢力自体をとらえるように方向づければ、抑圧の関係性を捨象して抑圧(/抑圧された存在者)と他の存在者との無関係性を示すことで抑圧自体の事実性を担保できます。抑圧を相対主義的に例えば歴史や物語の文脈でとらえてしまうと抑圧からの変化可能性(=抑圧に対して反撃する可能性=抑圧を転倒させる可能性)を狭めてしまいますが、抑圧が他の存在者と無関係な一個の事実(=存在者)であるとすれば、(相対主義的に)必然的にだけでなくまったく偶然に抑圧から変化する(=抑圧に対して反撃する=抑圧を転倒させる)可能性も担保できます。論集の冒頭に書かれたKatherine Beharの論をOOO的・極私的に解題=解体すると、このような素描になるでしょうか。
かなりハイコストかつ強引な論(および極私的な解釈)ですが、OOOを用いた事実性の証明を真正面から行うことでOOFは自身の理論的基盤を確保しています。個々の存在者の外にあるハイパーカオスな世界ではなく、個々の存在者の内宇宙に変革の力能を見出しているため、OOFはゼノフェミニズムよりもよりラディカルな制度破壊が可能であり、OOFはゼノフェミニズムに劣らない戦闘力を有しているといえるでしょう。しかし、極私的には、OOFより戦闘性を扇情的に前面に押し出したゼノフェミニズムのほうが好みです。
このように、Katherine Beharによる冒頭の論、OOFへの導入からなかなかエキサイティングです。各章の出来にはばらつきがありますが、2章ではTimothy MortonがいつものエコロジカルなOOOからOOFに架橋する論を展開し、4章ではElizabeth A. PovinelliがSFファンとしては既視感のあるサイバネティクス的/サイバーパンク的視座を用いて世界のリアルおよびハイパーリアルをフラットに整地し、8章ではMarina Gržinićが資本主義およびグローバリズムをOOO的手法で解体=解題しつつマルクス的なにおいのする論を展開し、10章ではR. Joshua Scannellが個々の存在者に女神性=魔術性をまとわながらサイボーグ・フェミニズムの現代的変奏を行い・・・など、(脚色した紹介で恐縮ですが)興味深い章がいくつかありました。論集全体の訳出は難しそうですが、Katherine BeharやTimothy Mortonの論は単体で翻訳・紹介されていいレベルのものだと思います。特に、Timothy Mortonは他の著作も含めて早く訳出されてほしいです。
今後、OOFがゼノフェミニズムと並んでどこまで運動体として力を高めていくのか、日本でどこまで紹介されていくのかは分かりませんが、まずは運動体としての潜勢力や戦闘力を高めつつ、個々の論者が喧嘩の売り方をしっかり身につけるのが大切でしょう。
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「万国の変態よ、団結せよ!」⇒名言
【参考文献 今回も千葉雅也さんのテキストにいろいろ依拠しております】