2019極私的回顧その17 詩
毎度毎度怠惰な場末ブログは更新の間が空いてしまいました。文学系の回顧のラストは詩です。仕事の関係もあるのですが、管理人の無気力も今年は大きく影響しております。すみませんが、飽かずお付き合いいただければ幸いです。
いつものお断りですが、テキスト作成のためamazon、《現代詩手帖》ほか各種レビューを参照しております。また、これも毎年のお断りですが、詩誌や同人をきちんと追っていないので、不完全な総括であることをご容赦ください。
2018極私的回顧その11 詩 - otomeguの定点観測所(再開)
2017年極私的回顧その11 詩 - otomeguの定点観測所(再開)
2016極私的回顧その11 詩 - otomeguの定点観測所(再開)
【マイベスト5】
1、ルネ・シャール詩集:評伝を添えて
難解として知られるルネ・シャールの詩について、難解とは真逆である、ディレッタントを粉砕する明晰なものだと謳い、翻訳の新たな局面を呈示しました。活字が発話するかのように読み手の意識に照射される訳詩のフレーズは、確かに斬新でした。原文と比較して疑問符のつく翻訳箇所もありますが、実験精神に敬意を表し、2019年のベストワンに推します。
2、もうあの森へはいかない
人間がいなくなって取り残された楽器や家具や道具たちが、人間の思い出を歌い上げている、不安定なイマージュの詩です。生物と無生物の間を揺れ動く、拙くぎこちない文体がかえって新鮮で、詩の世界の襞を深くするとともに、襞に詩人の姿を隠して詩的言語をとらえにくくしています。全編が明るい光で照らされているがゆえに、語り手の姿がぼやけてしまうという不気味さがあります。
3、掠れた曙光
形而上・形而下ともに愉しめる射程の広い詩集です。岡和田晃らしく多様な参照項をばらまき実験を繰り返しつつも幻想を掘り下げるという軸足はぶれていない本編と、レジストとしての健全な言説が掲げられたボーナストラック、という二段の構成。極私的には形而下の方が楽しめました。国家社会主義政党による長期政権が成れの果ての姿を見せている日本において、信頼できる政治的言説を摂取する機会は数少ないです。
4、見えないものを集める蜜蜂
モルポワといえば飛翔する抒情詩と冷徹な詩論の二段構えという印象ですが、この作品でもその持ち味は健在です。ユーモアやアイロニー、直戯的なイマージュを読者にぶつけた後で、その高揚を作者自ら諫めるような冷静な句がさらりと出てくる、遊び心とバランス感覚。想像力を批評力でうまくコントロールしていることがモルポワの強みなのでしょう。
5、前橋文学館 現代詩手帖の60年展
現代詩手帖の歴史が年代ごとに的確にまとめられ、かつ多くのバックナンバーを閲覧できる貴重な機会でもあり、好展示だったと思います。いくつもの時代を経てもなお詩誌の看板を掲げ続ける使命感というか、強迫観念。近年は1960・70年代のように時代・文化に深く入り込む誌面ではなくなっている気がしますが、万事が偽作化した似非原語が飛び交う現在こそ、この雑誌の存在意義が問われていると思います。
【2019年とりあえず総括】
詩業界はもっと外に向けて開いていかないと。「こんな詩が生まれているんだ」と気づいてもらえるような戦略を立てないと。古川日出男や舞城王太郎、文体にこだわりを持つタイプの作家が好きな散文読みなら、知りさえすれば瞠目する詩人、大勢いるのにもったいないYO!>RT
— 豊崎由美≒とんちゃん (@toyozakishatyou) 2019年6月17日
あ、現代詩における「淀川長治」的役割を、高橋源一郎氏が果たしてくれてはいるのか。でも、足りないなあ。現代詩業界の惨状を打開するには1人じゃ足りないw
— 豊崎由美≒とんちゃん (@toyozakishatyou) 2019年6月17日
豊崎由美のツイートを発端に、詩人や関係者たちが、詩の届け方やいかに詩を読まれるようにするか、といったことについて、SNSで活発に論しました。しかし、一読者としてその議論を傍観しながら、的を外した論が多いとも思いました。SNSを中心として詩を直接読者に届け、インタラクティブな作者と読者の交流も活発化しているのに、まだ業界やジャンルという狭い枠に囚われている議論が多かった印象です。文学ジャンルの敷居の高さや結束の強さは大いに結構なことです。その一方で、他ジャンルに向けて開かれていなければならないはずです。でも、詩壇はいまだ規範的であり同質主義であり画一的であり、他ジャンルへの接続が非常に弱くもあり。もっと広く猥雑な視座を展開してもいいんじゃないですか。一読者として詩壇の負の側面を垣間見た1年になりました。
ま、気に入った作品が読めさえすれば、そんなものはどうでもいいんですが。