中村文則『逃亡者』短評
今回のレビューは4月発売の中村文則『逃亡者』です。
正直、すごく評価の難しい作品だと思います。WEB上の感想では「難しい」「難解」という評が多かったように思いますが、確かに全貌をとらえるのは難しいです。しかし、それは内容が難解なのではなく、小説としての構成が破綻しているからです。
歴史小説として解するなら失敗作です。多数の伏線を仕込んでおきながら全く回収がなされず、ベトナム史、潜伏キリシタン、岩永マキの養護施設、旧日本軍の性奴隷、長崎への原爆投下など、様々な要素を詰め込みながら、回収も掘り下げも収斂もされることなく読者に投げっぱなし。ただこねくり回しているだけで支離滅裂と受け取られても仕方がないでしょう。意図的に構成を破綻させたならまだしも、恐らく作者の手に余って破綻してしまったことが透けて見えるのが度し難い。
歴史という題材を解してあらわになるのは強烈な作者の意志そのものです。醜悪な世界に対して嫌悪を抱きながらも全肯定してむき出しの愛で包もうとする壮大な思想=志操。その根底には生や世界に対する作者の強い愛情が感じられます。現政権に絶望し批判しながらも、リベラルではなく世界への愛や肯定を基にした政権批判。命を削るような作者の叫びは確かに力強いです。しかし、文藝として構成しきれずに夥しいメッセージを積み残したままに終わってしまいました。というわけで、文藝としてとらえても失敗作です。
それでも中村文則が読者を惹きつけるのは、欠点を補って余りある、粗野ですが強靭な独特の筆力ゆえ。作者の半端ない熱量と危機感は強く伝わってきます。文藝作家としての腕力だけで1冊生み落としたことを驚きとともに評価せねばならないでしょう。