otomeguの定点観測所(再開)

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最後のびわ湖毎日でマラソン男子日本記録更新!→びわ湖の歴史ちょこっと振り返り

 WEB上で既報の通りですが、最後の開催となったびわ湖毎日マラソンでマラソン男子の日本記録が更新され、あっさりと2時間4分台に突入しました。

 


速報 びわ湖毎日マラソン 2021 鈴木健吾 富士通 日本新記録

 素晴らしいレースでした。給水を取り損ねたのにダメージを受けず、そこで逆に仕掛けて、リズムに乗った走りで最後までペースを落とさぬ力走。そして、日本人で初めて2時間4分台となる激走。大迫以外でこのレベルの走りをする日本人がいるとは・・・。驚き、なめくさっていた観戦おやじが猛省しております。いや、すごいレースでした。「日本記録破り合戦」が行われている状況がうれしくて仕方ありません。

鈴木健吾が2時間4分56秒!! 大迫の記録超え、日本人初の2時間4分台/びわ湖毎日マラソン | 月陸Online|月刊陸上競技 (rikujyokyogi.co.jp)

 失礼ながら、伏兵という表現になるのでしょう。

鈴木健吾 - Wikipedia

 神奈川大で箱根駅伝2区で区間賞。2018年には初マラソンの東京で2時間10分21秒という初マラソンとしてはまずまずのタイムで走ったものの、その後はやや低迷し、一昨年のMGCでも見せ場は作るも7位で五輪代表にはなれず。

MGC男子成績 見せ場作った鈴木7位、36歳中本が8位― スポニチ Sponichi Annex スポーツ

 実業団の中で一定の評価を得ていましたが、エース級の選手ではなかったはずです。しかし、昨年10000mを27分台に乗せ、ニューイヤー駅伝で6区区間賞。昇り調子を見事にここに繋げました。湖国のマラソンの最後のレースを締めくくる、歴史的な走りでした。

 またまた失礼ながら、他の選手にはこう思ってほしい。「鈴木ができるなら俺にもできる」。鈴木健吾と同等の力を持った選手は国内にごろごろいるはずです。4分台の層を厚くし、4分台前半、さらに3分台を狙っていく。そんな切磋琢磨をぜひぜひ見てみたいと思います。

 「箱根から世界へ」。このエキサイティングで正常な競技サイクルがもっと激しく回っていくことを、切に期待します。日本のマラソンは強いはずです。世界と伍して戦う姿をもっともっと見たいのです。

 

 さて、今回で幕を閉じるびわ湖毎日マラソン。風向き次第とはいえコースがフラットで記録が狙えるレース。琵琶湖を背景にした風光明媚なコースは独特の味わいがあったので、非常に惜しい気がします。これも時代の流れということでしょうか。性別を区切った日本のエリートマラソンはとうにその役目を終えていますが、びわ湖毎日もその流れには抗えなかったということでしょう。

 びわ湖毎日の歴史を振り返り、瀬古俊彦が物議をかもした1988年のレースがいろいろと記事になっていましたが。

瀬古利彦が振り返る 1988年のびわ湖毎日マラソン - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル (asahi.com)

なぜ日本中が「びわ湖毎日マラソン」に注目? 1988年、瀬古利彦の苦悩|陸上|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (shueisha.co.jp)

 しかし、最も印象的なレースとしては、私はあえて1997年のびわ湖をあげたい。

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マルティン・フィス 2時間8分5秒で優勝 1997びわ湖毎日

マルティン・フィス - Wikipedia

 現在のようにアフリカ勢が世界のマラソンを席巻する前夜、スペインが「無敵艦隊」と謳われ、世界のマラソンに地位を築いた時代がありました。そのスペインのエース・フィスがびわ湖毎日に連続して出場してくれたのが1997~2001年。そのうち3回優勝でした。

 フィスがくる以前のびわ湖毎日は福岡や東京に比べるとやや格落ちした存在で、国内の若手や二線級が集まるレースでした。五輪や世界選手権の選考レースに指定されてはいましたが、強い存在感はありませんでした。1988年の瀬古のびわ湖毎日優勝が物議をかもした背景には、そうしたレースの位置づけの違いもあったはずです。

 そのびわ湖毎日の立ち位置を大きく変え、「びわ湖を変えた男」「びわ湖の顔」と称されたのがフィスでした。1996年のアトランタ五輪のメダルこそ逃したものの、1990年代後半に世界最強の呼び声をうたわれたすごいランナーがびわ湖にやってきた。このインパクトは大きく、中継で「すごいランナーがやってまいりました」とアナウンサーが語り、雑誌〈ランナーズ〉で谷口浩美が「フィスがびわ湖に来るとはね」とコメントしたほど。

 そして、前評判にたがわず、当時の日本国内最高記録となる2時間8分5秒でフィスは圧勝。雑誌〈月間陸上競技〉で「これぞ王者の走り」と称された、印象的なレースでした。

 この1997年を境にびわ湖毎日の位置づけが大きく変わりました。フラットで記録が出るコースということで、国内の一線級が出場し、福岡、東京と並んで五輪や世界陸上に向けて競り合う「男子3大レース」の構図が確立しました。

 その最後の歴史に日本新記録、日本人初の2時間4分台という歴史が刻まれたのは、非常に喜ばしいことなのでしょう。今夜はうまい酒が飲めそうです。